ニードルポイントとニット・タイ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

ニードルポイントは、レエスのひとつですよね。正しくは、「ニードルポイント・レエス」でしょうか。
針と糸だけで仕上げるレエスなので、「ニードルポイント・レエス」なのでしょう。レエスのはじまりも古いらしくて。もともとは、「ドローンワーク」が最初なんだとか。
ドローンワークは、そもそも一枚の布地。織り上げた布から、糸を引き抜く。その引き抜かれた文様に、手を加えるところから、「ドローンワーク」。ほんとうは「ドロウン・ワーク」dr awn w ork なんでしょうね。「引き抜きの技」。
レエスの大きな流れから申しますと、ドローンワークから、ニードルポイントが生まれたものと思われます。
ニードルポイントが出てくる小説に、『移動祝祭日』があります。もちろん、ヘミングウェイの物語です。
アーネスト・ヘミングウェイが1921年12月に、パリに移り住んだのは、よく知られているところでしょう。そして、『移動祝祭日』は、その時代のヘミングウェイの思い出の記録でもあるのです。
1920年代のパリを識る上でも、『移動祝祭日』は貴重な資料だと言えるに違いありません。

「最初に二人に会ったとき、彼女はニードルポイントの刺繍をしていて、それをつづけながら食べ物や飲み物に気を配り、私の妻に話しかけた。」

ここでの「彼女」とは、アリス・B・トクラスのこと。1907年からずっと、ガートルード・スタインの親友だったアメリカ人女性。
アリス・B・トクラスは料理がとても上手だったそうですね。その時代、毎日曜日に、ガートルード・スタイン宅でパーティーがあって、その準備なんかも、アリスの役割だったという。ヘミングウェイはもちろん、アポリネールやコクトオも、そのサロンのメンバーだったそうですが。
ヘミングウェイがガートルード・スタインの家に行くと、いつもコニャックを出してくれて。「さあ、おかわりしなさい」というのが常だったとも、ヘミングウェイは『移動祝祭日』に、書いています。
でも、どうして『移動祝祭日』の題名なのか。

「パリは移動祝祭日だからだ。」

ヘミングウェイは『移動祝祭日』の前書で、そのように語っています。もし若い時に、パリで過ごしたなら、その記憶が一生ついて回るから、と。
ヘミングウェイの『移動祝祭日』を読んでおりますと、こんな一節も出てきます。

「………ぼくはあのとき、白いポロシャツを着て、地味な黒いニット・タイをしめてたんだぜ」

これは、フィッツジェラルドが、ヘミングウェイに語った言葉として。
1920年代のパリで、フィッツジェラルドがポロシャツにニット・タイを結んだことがあるのは、間違いないでしょう。
たしかに黒の、絹のニット・タイは万能ネクタイですからね。
どなたか手で握ると「絹鳴り」のするようなニット・タイを作って頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone