花川戸とバズビイ

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花川戸は、東京の地名ですよね。東京、台東区に、花川戸はあります。その昔、このあたりは桜の名所で、それで「花川戸」と呼ばれたとの説もあるようです。
花川戸と名につく男に、花川戸助六。芝居などでも有名であります。。江戸の侠客。ただし、伝説の人物なんだそうですね。
花川戸助六の時代には、吉原というのがありまして。ここに、「三浦屋」という一流の店があって。そのなかでも売れっ子が、「揚巻」。揚巻に懸想したのが、花川戸田助六という設定になっています。

「江戸男達の総本寺、揚巻の助六だぞ。エエ、つがもねえ。」

歌舞伎『助六由縁江戸桜』には、そんな科白が出てきます。
「つがもねえ」は、江戸弁。今なら、「ばかばかしい」に近いでしょうか。
以前、助六を演じた役者に、「十五世市村羽左衛門」がいます。その苦労話のひとつに。

「………はじめの内は繻子の黄足袋を履きましたが、それではすべってはいけないので、このごろでは木綿の足袋に改めています。」

花川戸助六が出てくる小説に、『緑の蔭』があります。
稲垣足穂の書いた短篇。

「それはもうストラヴィンスキーと花川戸の助六と、ブリキ製のブランデーと三角のお月さんとの………」

稲垣足穂の『緑の蔭』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。

「自分はグリーンのダブル釦に、バタースビー・ハットをかむっていた。」

バタースビー・ハット。私の勝手な想像ですが。「バズビイ」busby  ではなかったでしょうか。英国の近衛兵がかぶる黒の、背の高い毛皮帽子。
稲垣足穂はいったいどこでバズビイを手に入れたのでしょうか。謎ですね。

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