ボローニャとホンブルグ

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ボローニャは、イタリアの街の名前ですよね。さすがイタリアだけに美味しいものがたくさんあります。ボローニャ・ソーセージは広く識られているところでしょう。
そして、また「ボローニャ大学」。
ボローニャはその昔、ボローニャ大学を中心につくられた街でもあります。つまりボローニャ大学はそれほどに古い歴史を持っているのです。
大正十五年に、ボローニャ大学を訪れた人物に、牧野英一がいます。その時の旅の記録は、紀行文『ボローニャの古い大学』に収められています。

「………ボローニャの大学では、教師の下に学生が集まったのではなく、学生がうち寄って教師をたのんで来たことになるのである。」

牧野英一は、そのように書いています。
2003年に、ボローニャに旅した作家に、井上ひさしがいます。井上ひさしの『ボローニャ紀行』は、愉快な随筆と言わなくてはなりません。

「鞄の中身は、帰りの航空券に筋子のお握り二個、それから一万ドルと百万円の札束が二つ。」

ご自慢のテストーニの鞄に、入れておいたんだそうですね。
井上ひさしはどうしてそんな大金を鞄に入れておいたのか。
ボローニャで資料を買うために。ボローニャの資料は現金が良いと、教えられていたので。
一度でいいからそれほどの現金を持って、あるだけの資料を買いたいものですが。

ボローニャが出てくる伝記に、『父マルコーニ』があります。
デーニャ・マルコーニ・パレーシェ著の、マルコーニの伝記なのです。デーニャはマルコーニの娘。

「………父はあわてて「ボローニャから先は、決してどこにもいかない」と約束して、その場は収まった。」

マルコーニはいつも突然に外国に出かける癖があったので。
また、『父マルコーニ』には、こんな描写も出てきます。

「………ツィードの帽子をぴっちりとかぶった父の姿をよく目にしたものだ。」

この「ツィードの帽子」は、当時の写真にも遺されています。
それはトゥイード地なのですが、形はホンブルグ・スタイルになっているのです。
どなたかトゥイード地のホンブルグを作って頂けませんでしょうか。

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