ホールとホームスパン

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ホールは、広間のことですよね。いろんな建物があり、いろんな広間があります。たとえば、ダンス・ホールだとか。踊るための広間ですね。

🎶 花のホールで 踊っちゃいても

その昔、ディック・ミネが歌った『夜霧のブルース』の一節であります。この場合の「ホール」はダンス・ホールなんですね。
そうかと思えば、ビア・ホールもあります。生ビールをジョッキで傾けるための広間。
今のビア・ホールに似た店は、古代バビロニアにもあったという。ビア・ホールの歴史もさぞかし古いのでしょう。
では、日本でのビア・ホールはどうなのか。

「三十二年の夏頃、新橋々畔にビーヤ、ホールと称ふる飲食店開かれ、極めて簡便にビールのコツプ賣をなし、傍サンドウィッチ等を備へて………」

明治三十五年に出た『東京風俗志』に、そのように書いてあります。つまり、明治三十二年の夏に、日本ではじめてのビア・ホールが誕生しているのでしょう。
これを最初として、たちまち多くのビア・ホールが開かれた、そうも書いています。

「震災後キリンビールのホールが東側に出来ました、之で銀座のビヤホールは二軒になつた譯ですが、最近キリンの方はやめたそうです………」

『資生堂月報』のコラムに、そのような記事が出ています。「震災後」は、もちろん大正十二年の関東大震災を指しているのですが。
大正十三年に、「資生堂」は、『資生堂月報』を創刊しています。十一月三日のことです。当然のようにおしゃれの話題が多く、今では貴重な資料となっています。
『資生堂月報』には、大田黒元雄も寄稿しているのですが。

「ホオムスパンの背廣を着て真黒な靴下を穿くことは、モオニング・コオトを着て格子縞の靴下を穿くことと同様に可笑しからう。」

『靴下』と題する随筆の中で、そのように書いています。
「ホームスパン」homespun
は、1589年頃からの英語なんだそうです。「家内織」。もともとは自分たちが着るために織った手製の布地だったのです。平織。
これが後に綾織となって、トゥイードになったのであります。
どなたかホームスパンのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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