ヴィクトリアとヴェネシャン

ヴィクトリアは、人の名前にもありますよね。
また、ヴィクトリアは地名にもあることご存じの通り。
もちろん、Victoria と書いて「ヴィクトリア」と訓みます。
その昔、英国に「ヴィクトリア女王」の時代があったのは、言うまでもありません。
1837年から、1901年までのあいだ、英国に君臨した女王であります。
英国のヴィクトリア時代は、産業の発展期でもありました。
「七つの海を征服」したのも、この時代でありました。もちろん、植民地政策によって。
また、その一方で「真面目すぎる時代」だったのも事実。
ヴィクトリア女王があまりに潔癖なお方だったので。
上流階級ではピアノに靴下を履かせたという話があります。ピアノの足が素足なのは、下品だというので。
ヴィクトリア時代は、シルク・ハットとフロック・コオトが日常着であった時代なのですね。
1838年6月26日に、ヴィクトリア女王の戴冠式が行われています。
1902年1月22日に、崩御。
ヴィクトリア女王の葬儀を観た日本人に、夏目漱石がいます。

「僕は仕方がないから下宿屋の御爺の肩車で見た 西洋人の肩車は是が始めての終りだらうと思ふ」

夏目漱石は明治三十四年二月九日付けの手紙に、そのように書いています。
これはロンドンのハイド・パークでのこと。あまりに見物客が多いので、観るに観られない。そこで宿の主人に肩車してもらったのでしょう。
1837年6月20日に、ヴィクトリア女王の即位。この時、ヴィクトリア女王は黒のドレスをお召しになって。なぜ、黒のドレスだったのか。
それは先王、ウィリアム四世への追悼のお気持ちとして。
この時の「黒のドレス」は、現在「ロンドン博物館」所蔵となっています。ただし、見た感じは、ダーク・ブラウン。これはもともと「黒」だったものが、年月によって、変色した結果なのですが。
ただし、当時の多くの肖像画では、白のドレスとして描かれています。これは画家なりの忖度があってのことでしょうね。

「そしていろいろのことの最後に、王冠がわたしの頭に載せられた。 ー あれはわたくしにとって、とてもとても胸をうつ時間だったと思う。」
ヴィクトリア女王の『日記』には、そのように出ています。
この王冠をヴィクトリア女王に捧げたのが、ロール卿。ロール卿は女王への階段を登る時、ふらついて。女王は玉座から立ちあがって、手を差しのべようとした。そんな話も伝えられています。
ヴィクトリア女王が出てくる小説に、『もっとも危険なゲーム』があります。
英国の作家、ギャヴィン・ライアルが、1963年に発表した物語。

「首に銀白色のシルク・スカーフをまいてヴィクトリア朝風の真珠のついたハットピンのようなもので留めてあった。」

これはアリス・ビークマンの様子として。
また、『もっとも危険なゲーム』には、こんな描写も出てきます。

「灰色のヴェネシャン地のズボンに黒茶のカシミアのスポーツ・ジャケットは、いかにも金持の服装である。」

これはアメリカの富豪、フレデリック・ホーマーの着こなしとして。
日本語訳者、菊池 光は、「ヴェネシャン」と書いてあります。
「ヴェネシャン」venetian は、光沢のある畝織地。ややフォーマルな印象のある生地。ヴェニスに由来する布地名。
英語としての「ヴェネシャン」は、1710年の『ロンドン・ガゼット』の記事の中で、すでに用いられています。
どなたかヴェネシャンの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。