ボッチとポンチョ

ボッチという名前のテイラーが以前、サンチャゴにあったんだそうですね。
サンチャゴが、チリの首都であるのは、言うまでもないでしょう。そして、チリはラテン・アメリカの国。
チリは細長い地形の国であります。アンデス山脈をも含む国です。
なぜ、テイラー「ボッチ」の名前を知ったのか。
チリの作家、ドノソの小説『この日曜日』を読んでいて。たまには小説も読んでみるものですね。
ホセ・ドノソが、1966年に発表した物語が、『この日曜日』。

「で、その洋服屋はどこにあるんですか? 」
チェパは彼に住所を教えた。彼はそれを反復した。
「おれもここで服をつくりたい。」

ここでの「彼」は、「マヤ」という青年なのですが。
また、「チェパ」は、アルバロの妻という設定になっています。主人のアルバロは服のことしか頭にない男で、いつも「ルイジ・ボッチ」で服を仕立てていたので。
この「ルイジ・ボッチ」は、ヴェネチア出身の男とも説明されています。
チリのサンチャゴで服を着る人があり、着こなしにうるさい人がいる限り、腕の立つ洋服師もいたに違いありません。

昭和三十年にチリに旅したお方に、大宅壮一がいます。大宅壮一の紀行文『南北に伸びたチリー』を読んでおりますと。

「中食は繁華街のレストランで食べた。アメリカのカフェテリアに似た大衆食堂で、百二十ペソ(約四百円) 税一0% チップ二0%である。」

そんなふうに書いてあります。一般に消費税は、3%。贅沢品については10%だったとも。これは首都、サンチャゴでの見聞として。
大宅壮一は同じ年に、ペルーにも旅をしているのですが。『南米第一の排日国・ペルー』の随筆を書いています。この中に。

「この辺にはリャマ、アルパカ、ピクーニャなどという珍しい動物がいる。」

大宅壮一はそんなふうに書いてあります。ここでの「ピクーニャ」はおそらくヴァイキューナのことかと思われるのですが。
また大宅壮一はこの時の旅で、案内人に勧められてポンチョを買い求めています。

「冬の夜ふけにこれをきて仕事をすると、暖かくて、手の動作が自由で、すこぶる重宝である。」

ここでの「これ」が南米のポンチョであるのは、言うまでもありません。
昭和三十二年にサンチャゴを訪れた実業家に、澁澤敬三がいます。澁澤敬三の紀行文『サンティアゴ』の中に。

「途中クラカヴィなる片田舎のレストラン中食、地酒のブドー酒の味はすてがたかった。」

そのように書いてあります。チリのワインは美味しいですからね。
チリのサンチャゴに、1924年に生まれたのが、ホセ・ドノソ。そのホセ・ドノソが、八年かけて完成させたのが、『夜のみだらな鳥』なのです。長篇。今、ドノソの代表作にもなっています。
この『夜のみだらな鳥』を読んでおりますと、何度かポンチョが出てきます。たとえば。

「大きなポンチョの袖でほかの者の目からさえぎった。」

そんな描写もあります。1940年代以前のサンチャゴでは、ポンチョが一般的だったことが窺える内容になっています。
「ポンチョ」poncho はラテン・アメリカの民族衣裳。
もともと「ポンソ」ponthoという手織り生地があって、これを使った衣裳なので、「ポンチョ」と呼ばれるようになったという。
布のほぼ中央に頭を通すための穴を開けただけの衣裳。その意味では古典的な服装でもあるでしょう。
どなたか街歩き用のポンチョを作って頂けませんでしょうか。