アイルランドとアスコット・タイ

アイルランドは、国の名前ですよね。アイルランド共和国。
首都はダブリン。北海道をもう少し小さくしたくらいの領土なんだそうですね。人口はざっと、391万人だとか。
昔むかし、アイルランドはイングランドと陸続きだったという。
アイルランドの歴史にも興味深いものがあります。
歴史家のなかには、ケルト人の到来を紀元前900年頃までに遡って考えるお方もいるようですね。
1947年に、アイルランドの作家、オアイロンが発表した『アイルランド』には、そのように出ています。
ケルト人がいつ、アイルランドにやって来たかはさておき、ケルト文明を下敷きに今のアイルランドが築かれていることは、間違いないでしょう。
アイルランドの作家といえば、誰もがジョイスを思うに違いありません。もちろん、ジェイムズ・ジョイス。
あの『フィネガンズ・ウエイク』の名作で識られるジョイスのことを。
ジェイムズ・ジョイスが、「二十世紀最高の作家」と形容されることがあるのは、ご存じの通り。
一方、意外に識られていないのが、小泉八雲。つまり、
パトリック・ラフカディオ・ハーンのことを。
パトリック・ラフカディオ・ハーンは、1850年6月27日、ギリシアに生まれています。お父さんは、チャールズ。お母さんは、ローザ。このお父さんはれっきとしたアイルランド人だったのですね。当時、アイルランドの陸軍軍医で、ギリシアに派遣されていて。ギリシア人のローザと出会ったわけです。その結果、ラフカディオ・ハーンが生まれています。第一、名前の「パトリック」はアイルランドそのものですからね。
1852年に、お母さんのローザとパトリックは、アイルランドのダブリンに移っています。パトリックが二歳の時に。つまりハーンはアイルランドのダブリンで育ったようなものではありませんか。
ラフカディオ・ハーンがアメリカに渡ったのは、1869年。ハーンが十九歳の時。ハーンはアイルランド人であった。そう言って間違いないでしょう。
幼少期のハーンは、主に乳母に育てられて。乳母の名前は、キャサリン・コステロ。このキャサリンはよく、アイルランドの昔話を幼いハーンに聞かせたという。
ハーンに、『耳なし芳一』があるのは、誰もが知るところ。そしてアイルランドの民話に、『魔法のフィドル』があって。この二つの物語には共通点があるとのことです。
アイルランドが出てくる物語に、『緑の影、白い鯨』があります。1992年に、レイ・ブラッドベリが発表小説。ただし、物語の背景は主に1953年のアイルランドに置かれているのですが。
1953年に、映画監督のジョン・ヒューストンが『白鯨』を、映画化した時の話が中心になっているもの。
その時、脚本を書いたのが、レイ・ブラッドベリだったのですから。
レイ・ブラッドベリの『緑の影、白い鯨』を読んでおりますと。

「わが監督がブーツと乗馬ズボン姿で現れた。シルクのシャツが首のところで開いてそこからアスコット・タイが見える。」

もちろん、ジョン・ヒューストンh着こなしとして。
「アスコット・タイ」ascot tie
は、1800年頃からの英語。少なくともO・ヘンリーが1908年に書いた短篇の中にも、「アスコット・タイ」が出てきます。
どなたか1900年頃のアスコット・タイを再現して頂けませんでしょうか。