兄は、ブラザーのことですよね。
ことに、エルダー・ブラザーでしょうか。
実際に血のつながりはなくても、兄事などの言葉もありますね。
まるでお兄さんであるかのように、教えてもらうことを。
古い時代には「兄者」(あにじゃ)とも言ったりしたらしい。
あるいはまた、兄賢愚弟の言い方もあるようですが。
兄が出てくる回想録に、『ニッポン放浪記』があります。
2008年に、ジョン・ネイスンが発表した半自伝。この中に。
「十一歳年上の安部は、知識に裏づけられた兄のような助言をする、大江は弟分という立場にいらつきながらも、安部の言うことには傾聴した。」
著者のネイスンは、1940年生まれのアメリカ人。
ハーヴァード大学卒業後、東京大学に学んだ人物。
1964年に、三島由紀夫の小説『午後の曳航』を英訳しています。
ジョン・ネイスンがはじめて、大江健三郎に会ったのは、三島由紀夫邸でのパーティーで。
ここに「安部」と出てくるのが、安部公房であるのは、言うまでもないでしょう。
余談ではありますが。日本ではじめてBMWに乗った作家は安部公房である。そんな話も出てくるのですが。
ジョン・ネイスンは日本に住んでいる日本人として、役者にもなっています。
1965年9月。『唐人お吉』の中で、タウンゼント・ハリス役を演じて。相手役は、水谷八重子(初代)。
ジョン・ネイスンはそんなことから、勝新太郎とも親しかったらしい。『ニッポン放浪記』を読んでおりますと。
「最初に行くのは銀座の高級クラブ「ラムール」と徳大寺だ。私たちが入っていくと、勝お気に入りのホステスたちが他の席から離れて勝のまわりに集ってくる。彼女たちがせがんだりすると、勝が座頭市を演じはじめる。」
ここでの「勝」はもちろん勝新太郎のこと。
1965年に、ジョン・ネイスンは勝新太郎と仲良くなって、毎晩のように飲み歩いていたらしい。
もっともここでの「ラムール」は、ラモールではなかったかと思うのですが。
それはともかく、ジョン・ネイスンは勝新太郎の金放れの見事さに、驚いたとも。
ここでもう一度、三島由紀夫の話に戻るのですが。
「その椅子にピンホールカラーのシャツ、白いスーツという姿で、足元にスポーツジム用のバッグを置いて、三島は座っていた。」
これはある時、ジョンが三島由紀夫とホテル・オークラで待ち合わせした様子として。
ピンホールカラーは、「アイレット・カラア」とも。
専用のカラア・ピンで襟を留めるので、その名前があります。
アイレットeylet が「鳩目」の意味であるのは、言うまでもありません。
どなたか絹のアイレット・カラアを仕立てて頂けませんでしょうか。