順とジビュス

順は、男の人の名前によくありますよね。
日本の小説家の中にも、「高見 順」がいるように。
高見 順の自伝を読んで知ったことなんですが。
高見 順と永井荷風とは、従兄弟の間柄になるんだそうですね。
高見 順が後に作家になったのも、縁(えにし)というものなのでしょうか。
高見 順の代表作に、『いやな感じ』があります。昭和三十五年の発表。
『いやな感じ』が出版されてすぐ、高見 順は偶然、川端康成に会っています。
横須賀線の電車の中で。川端康成も、高見 順も鎌倉に住んでいましたから。
川端康成はまっすぐ高見 順を見て、『いやな感じ』を褒めた。これに対して高見 順は。
「いやあ、あれは私の健康法として書いたものです。」
もちろん、高見 順なりの照れもあったのでしょうが。
昭和二十五年二月十八日に、はじめて高見 順に会ったのが、吉行淳之介。吉行淳之介は当時『モダン日本』の編集者だったので。高見 順に原稿の依頼に。

「「おっ、君は知っているのか」と喜ばれて、お互いにオ・コールマン氏についての些細な知識を交換した。」

吉行淳之介は『高見 順氏と私』と題する随筆に、そのように書いています。
ここでの「オ・コールマン氏」は、ジャズのオーネット・コールマンのこと。
初対面でジャズの話になって、すっかり打ち解けることができたそうですね。
昭和三十七年頃の話。
高見 順は原稿を書くために、「山の上ホテル」に。そして同じホテルに、吉行淳之介も。
時折、ふたりは誘って、浅草料理屋に行ったという。
高見 順は、詩人の田村隆一とも親しくしていたらしい。

「高見夫人が、作家の灰色の上着とDONのブラックタイとをプレゼントしてくださった。」

田村隆一は随筆『灰色の上着』の中に、そのように書いています。
ここでの「作家」が、高見 順であるのは言うまでもないでしょう。
高見 順とひとつ違いの作家に、マイクル・イネスがいます。
マイクル・イネスが1937年に発表した物語に、『ハムレット復讐せよ』があります。この中に。

「車の男は丈のながい外套をまとい、ジーブスの不朽の発明品であるオペラハットをかぶっていた。」

ここでの「車」は、ベントレーなのですが。
また、ここでの「ジーブス」とは、フランスの
「ジビュス」ことでしょう。
今の折り畳み式のトップ・ハットは、巴里の、アントワーヌ・ジビュスの考案によるものです。
どなたか1930年代ジビュスを作って頂けませんでしょうか。