降って友、晴れて友
レインコートは雨外套のことである。雨降りの時に羽織って、下の服が濡れるのを防いでくれるコート。
レインコートは、「レーンコート」とも書く。ただし「レーン・コート」ではない。それというのも英語の raincot から来ていることと関係があるようだ。「rain coat」ではない。
ところが、「レイン・ハット」 rain hat であり「レイン・シューズ」 rain shoes となる。レインとハットの間が少し開く。が、レインコートはひとつながりの語として、書く。
「レインコート」 raincoat と綴る理由について、どなたか博識のお方に教えて頂きたいものである。
レインコートとなれば当然、「マッキントッシュ」があり、「アクアスキュータム」があり、「バーバリー」がある。しかしこれらはいずれもファッション上の大きなテーマであって、改めて項を立てるべきである。従ってここではあえて「レインコート」」一般の物語についてのみ、ふれることにする。
レインコートは読んで字のごとく、「雨用コート」。雨は人の歴史よりも古い。ということは人類の誕生と同時になんらかのレインコートらしきものは、あっただろう。頭から毛皮を羽織ったのかも知れない。ちょうど子どもの頃、にわか雨が降ってくると、蓮の葉を傘代りにしたように。それとも穴居時代の我らの先祖は、雨の日には外に出なかったのだろうか。
レインコートらしきものを考えたのは、フランス人である、との説がある。1747年頃のことであるという。そのフランス人の名前は、フランソワ・フレスノー。フランソワ・フレスノーはその頃、フランス領、カイエンヌに居た。フレスノーは技術者であったが、雨の日が多くて困っていた。
その時、ふっと気づいたのは、カイエンヌにはゴムの木が実ることであった。そこでフレスノーはゴムの木からゴムを得て、それを自分の古いコートの上から塗った。それを雨降り用としたのである。
一方、イギリスでは1821年頃にレインコートがあったらしい。それは「フォックス・アクアティック・ギャンブルーン・クローク」の商品名であったと伝えられている。ロンドン、コヴェントガーデン、キング・ストリート 28番地の、「フォックス」という店が売り出したとのことである。これはモヘアを使って綾織にした生地あったというのだが、詳しいことは分かっていない。
「男たちは雨から身を守るためにレインコートを着、女たちはカンブレッツを着る。」
ジョン・ファニング・ワトソン著 『フィラデルフィア年代記』 ( 1830年刊 ) の一節。ここでの「カンブレッツ」は、「キャムロット」の名で呼ばれた光沢のある生地。あるいはなにかの布を頭からかぶることがあったのだろうか。
「日本の農夫たちは草で作られたレインコートを着るのである。」
A・B・ミットフォード著『古い日本の話』 ( 1871 年刊 ) にはそのように出ている。「草で作られたレインコート」、おそらくは蓑のことかと思われる。『日本書紀』にも、素戔嗚尊が草を束ねて蓑を作った、とあるからその歴史も古いのであろう。
蓑ほどではないにしても、昔の日本人は「雨合羽」をレインコート代りとしたものである。つまりは「合羽」なのであるが、それを雨用に使った場合、「雨合羽」となった。
「その法衣はポルトガル語ではカッパという。昔、我が俗、その製法を倣い、雨衣を作った。」
新井白石著『西洋紀聞』 ( 享保九年刊 ) には、そのように出ている。「法衣」とは、ポルトガル人宣教師の着た「カパ」 cappa を指してのことと思われる。「カパ」が今の「ケープ」 cape とも関連している。ごく短絡的にいえば、「合羽」は昔のケープからはじまっているのである。
「高木は雨外套 ( レインコート) の下に直に半袖の薄いシャツを着て……」
夏目漱石著『彼岸過迄』 ( 大正元年 発表 ) の一文。夏目漱石は「雨外套」と書き、「レインコート」と、ルビを振っている。小説に描かれた「レインコート」としては比較的はやい例であろう。
1966年の映画『パーマーの危機脱出』にもレインコートが登場する。主人公、ハリー・パーマーに扮するマイケル・ケインがレインコートを着てあらわれる。まるで自分の存在を隠そうとするかのように。ここでのレインコートは「匿名性」の象徴でもある。誰もがふつうに着ているふつうのレインコート。
レインコートは匿名性であるからこそ、その人物のひととなりをあらわすことがあるものだ。