鵠沼とパナマ帽

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鵠沼はいいところですよね。藤沢からも近いみたいですし。
鵠沼に長く住んだ画家に、岸田劉生がいます。岸田劉生は銀座のお生まれ。でも、大正六年、健康のために鵠沼へ。岸田劉生の傑作は多く、この鵠沼時代に生まれているんだそうですね。

「今日より余は三十歳となる。」

岸田劉生の「鵠沼日記」に、そう書いています。大正九年一月一日のところに。これが「鵠沼日記」の第一行なんですね。本屋で、日記帳が売切れという話を耳にはさんで、それで日記をつけるように。これは岸田劉生自身が、「鵠沼日記」をはじめるにあたって、動機をそんなふうに書いています。
それが大正十四年の七月九日まで日記を綴ったのですから、尊敬に値します。岸田劉生は、いつか、なにかで「日記」が発表されるかも、と考えていたふしがあります。
一方、まったく発表されるとは思ってもいなかった日記に、「小津日記」が。もちろん、小津安二郎の日記。第一、小さな手帳に小さな文字で、半ば判読不明。自分なりの覚書。今は、『全日記 小津安二郎』として一冊にまとめられています。

「青木と銀座に出で パナマを買ふ のち松しまにて天ぷら 」

昭和九年七月二十日のところに、そんなふうに書いています。「銀座に出で」は、小津安二郎の文字通り。たぶん「出て」と書いたつもりだったのでしょう。
「銀座」とだけあって、店名までは出ていません。が、この日に小津安二郎がパナマ帽を買ったのは、間違いありません。
毎年の七月二十日を、パナマ帽の日にしましょうか。
そうそう鵠沼に行くにも、パナマ帽は最適ですね。

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