内田で、作家で、奇人でということになると、内田百閒でしょうね。内田百閒がお好きだったものに、鉄道があります。ただただ、鉄道の乗るのが、好き。
昭和二十五年の十月に、百閒先生、大阪へ。その頃のことですから、特急の「はと」で。特急「はと」は、東京、大阪を6時間30分で結んだんだそうですね。特急「はと」には、食堂車がついていて。
内田百閒は大阪に着くと、翌日の「はと」で東京へ。「どうしてすぐお戻りになるんですか?」と問われて、ひと言。
「私は、鉄道に乗るために来たのだから。」
この話を、『小説新潮』に書いたものですから、たちまち百閒の鉄道好きが有名になったそうですね。
百閒がもうひとつ好きだったのが、「東京ステーション・ホテル」。もっとも「東京ステーション・ホテル」も、鉄道の出入りが見える宿なので、偏愛されたのでしょう。
毎年の5月29日に、「摩阿弥会」が東京ステーション・ホテルで開かれたのは、ご存じの通り。5月29日は、内田百閒の生まれた日なので。
「東京ステーション・ホテル」の開業は、大正四年ことなんだそうです。1915年11月2日に。この東京ステーション・ホテルを百閒が利用したのは、昭和十二年の十二月のこと。当時あった『改造』という雑誌に原稿を書くために。最初はいわゆる「カンヅメ」だったのでしょうね。この時、二週間ほど滞在しています。それは当時の「25号室」だったと伝えられています。「東京ステーション・ホテル」に泊まって、鉄道が見えることに気づいて、すっかり嬉しくなったのでしょう。
内田百閒が晩年まで好んだのが、ウイング・カラーのシャツ。ウイング・カラーの元は、ポーク・カラーと呼ばれた堅い、ハイ・カラーで。頸のところが邪魔なので、自然に折り返えるようになったものです。
もし古典がお好きなら、ウイング・カラーはお薦めでしょうね。
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