バラの花を閉じ込めたペーパーウエイトがあるんだそうですね。
ペーパーウエイトは、読んで字のごとく、「紙押さえ」。手紙や原稿、あるいは譜面などを書く時、風で飛ばないように、とりあえず押さえておくための。重し。
少し乱暴にいえば、重しになればなんでも良いわけで。適当の重さがあって、適当に小振りでさえあってくれるものなら。でも、それとは別に、はじめからペーパーウエイト専用として作られたペーパーウエイトもあるわけで。
ペーパーウエイトには、硝子製が多いようです。硝子なら透明で、もし必要なら、下の文字を読むこともできるからなんでしょうか。
その昔、ペーパーウエイトの蒐集家だったのが、コレット。もちろん、フランスの作家の、コレット。コレットからコレクションのひとつをもらったのが、カポーティ。そのことは、カポーティ著『叶えられた祈り』に、詳しく書いています。
「とくに目をひいたのはたくさんの、古いフランス製のクリスタルガラスでできたペーパーウエイトだった。」
これはカポーティが、コレットの自宅を訪ねた時の様子なんですね。コレットの話によれば。極上のペーパーウエイトは、1850年から1900年の間に作られたものに限られるんだとか。それも、みっつの会社によって作られたペーパーウエイト。「クリシー」、「バカラ」、「サンルイ」。それが、みっつの会社なんだそうです。
「これは白いバラと呼ばれているものよ。見えるでしょ、このいちばん純粋なクリスタルガラスの中心に白いバラが一輪入っているの。」
その貴重なペーパーウエイトを、カポーティは頂いて、長く大切にしたという。『叶えられた祈り』には、こんな話も出てきます。
「ヴィトンのケース、バティストーニのシャツ、ランヴァンのスーツ、ピールの靴………」。
もちろん、カポーティの持ち物だったものたち。少なくとも晩年のカポーティが、ランヴァンのスーツに、バティストーニのシャツを着ていたことが分かるでしょう。
バティストーニは、イタリア、ローマのシャツ屋。1946年に、グリエルモ・バティストーニにはじめたので、その名前があります。
グリエルモ・バティストーニはそれ以前には美術学校の生徒だった。グリエルモはどうしても、極上の、うんと襟先の長いシャツが欲しかった。で、シャツを作りはじめたんだそうですね。
バティストーニのシャツはだんだん有名になって。ウインザー公や、ピカソ、コクトオ、シャガール、モディリアーニーなどにも愛用されるようになったという。