「真を写す」と書いて、写真。写真はまさに「真を写す」道具なのでしょうね。写真を写すための機械として写真機があるのは言うまでもありません。
では、もっともシンプルな写真機とは、何か。「針穴写真機」であります。「ピンホール・カメラ」とも言うらしい。
針穴写真機には、レンズがない。シャッターもない。望遠もなければ、露出もない。ただの箱に小さな穴が開いているだけ。「シンプルな写真機」は、ウソではありません。ただし箱の内側に印画紙かフィルムを貼っておく。これがまあ、「写真機」らしい唯一のこしらえでしょうか。
ところで針穴写真機で、ほんとうに写真が写せるのか。写せるのです。時と場合によっては「芸術品」そのものの、傑作として完結することがあるほどに。
フェルメールは有名な画家ですが、フェルメールもまた一種の針穴写真機を使っていたという。絵画を描くための参考として。フェルメールは一例で、ルネッサンス期の画家と針穴写真機とは、まんざら無関係でもないようです。つまり、針穴写真機の歴史はとても古いのです。
1989年に、偶然、パリで針穴写真機に出会って人物に、田所美惠子がいます。田所美惠子は今も、針穴写真師として活動を続けています。写真は申すまでもなく「眼」であって、「機械」で写すものではありません。田所美惠子は「心眼」で写して、傑作であります。
田所美惠子の針穴写真を多く使った短篇集に、『小さな神様』があります。太田治子の小説集。太田治子著『小さな神様』には、『木綿のワイシャツ』が収められていて。
ここには結婚して三十年の夫婦が出てきます。
「郁美は、ワイシャツの糊付けの天才だね」
新婚当初、夫の浩吉に褒められて以来。実は洗濯屋に出しているとは口にできなかった話が出てくるのです。うーん、ありそうなことですよね。
コットンのシャツは、慣れたなら、プレスは簡単です。たぶん針穴写真よりははるかに易しいと思うます。
さて、自分でアイロンがけをしたシャツを着て、針穴写真を写しに行くといたしましょうか。