真珠と仕立て

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真珠はまことに美しいものですね。真珠からは古今東西、多くの物語も生まれています。それもまた、真珠の美のなせる技でありましょう。
真珠はうどんとも関係があります。うどんは、もちろん食べるほうのうどんなのですが。
真珠は世界に誇る日本の名産であること、申すまでもありません。真珠を世界に誇る名産に仕上げたお方が、御木本幸吉。
御木本幸吉は、安政五年に、鳥羽で生まれています。ちょうど日本が、主な港を開いたあたりに。御木本幸吉のお父さんは、御木本音吉。音吉は鳥羽で、何代もつづくうどん屋だったのです。屋号は、「阿波幸」だったという。
鳥羽港は、よく知られた風待港。嵐の時などに避難する恰好の良港だったのです。幸吉は「阿波屋」の長男ですから、ふつうに考えるなら、「阿波屋」を継ぐはず。もちろん幸吉は少年の頃、うどん屋の手伝いをしました。でも、うどん屋になるつもりは、さらさらなかったのです。
鳥羽港には、ごく稀に真珠が採れた。その真珠は目の眩むような高値で売られることを、幸吉は知っていたからです。幸吉は、夢想家でありました。「きっと真珠は作れる」と信じていたのです。また、幸吉は当時の人としては珍しく、「世界」を想い描いてもいました。
幸吉と「世界」のはじまりは、鳥羽港に停まる外国船だったのです。幸吉は異人に臆することなく、停泊中の外国船に卵と野菜とを売った。では、幸吉はどうして異国の船に乗ることができたのか。足芸。
幸吉にはひとつ特技があって、足芸。足芸とは、本人は寝転んで、ただ足だけでの、芸。たとえば、傘を足で回したり。幸吉は晩年になってからも、この足芸が上手だったものです。
幸吉の足芸を観た異人たちは、船に幸吉を招いた。それで船にはない、新鮮な卵や野菜を買ってくれたわけです。
御木本幸吉が銀座に店を開くのが、明治三十二年のこと。当時の「弥左衛門町」でありました。このひとつをとっても、幸吉の先見性が窺えるでありましょう。
真珠が出てくる小説に、『ロンドン』があります。1997年に、エドワード・ラザファードは発表した長篇。とにかくロンドン二千年の歴史を小説に纏めようというのですから、長篇になるのも当然でしょう。寝食忘れて一週間取り組めば、完読できるかも知れませんが。この中に。

「インド産の染料や鼈甲や真珠を専門に扱う貿易業者だ。」

これは1822年のロンドンの、銀行界の様子。銀行家が、貿易業者に多くの融資をはじめたという話の中に。また、『ロンドン』には、こんな描写も出てきます。

「パーシーが仕立屋の資格を身につけるために五年か六年の年季奉公を務めようとしたのももっともなことだった。」

これは、パーシー・フレミングという若者の話。テイラーとして、サヴィル・ロウの、「トム・ブラウン」の店に入る。これは、1908年頃の出来事なのですが。
『ロンドン』の中では、トム・ブラウンは、「あれこそ本物のジェントルマンの仕立屋だ」と、説明されています。
佳い仕立ての服を着て、ネクタイに真珠でも挿してみたいものですが。

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