烏賊と印傳

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烏賊は、イカのことですよね。イカはイタリア語で、「セピア」
s epp i a というんだそうですね。
そうです、あの「セピア色」はここから来ているんだとか。昔はイカのスミから取ったインクで文字を書いた時代があったという。
もっとも烏賊は烏賊でも、「コウイカ」のことを指すんだそうですが。
なんでも古代ギリシア語の「セピア」sēp i a から出ているそうですから、古い。
烏賊は食べる国もあれば、食べない国もあります。イタリアも日本も烏賊を食べる国ですよね。
「イカスミ・パスタ」なんてあるではありませんか。腕の立つ料理人は、食べた後、歯に色が移らないように仕上げることになっているんだそうですね。
イタリアに「イカスミ・パスタがあれば、日本には、「いかの黒作り」があります。
いかの黒作りは、加賀ではじまったとの説があります。寛文年間に、保存食として作られたんだそうです。

「………越前加賀にてその墨に和して塩蔵す、いかの黒づくりと云ふ…………」。

古書『俚言集覧』にも、そのように出ています。
いかの黒づくりもそうでしょうが、「いかの塩辛」。これもなかなか美味いものです。黒づくりも塩辛も似ているのは、いかに細く切るのか。ここに要があるらしい。
細切りの塩辛があって、美酒がありますと、終りなき宴となること、間違いなしであります。
イカの塩辛が出てくる小説に、『駅前旅館』があります。井伏鱒二が、昭和三十二年に発表した物語。

「………持参の肴に違ひないイカの塩辛を入れた蓋物を前に置いてゐます。イカの黒づくりを入れた蓋物も置いてゐる。いづれも手製の塩辛で、線香のやうに細く長く切つてある。それを爪楊枝の先に一本づつ引掛けて仰向いて口に入れる。」

これは、「鰌屋」と呼ばれている男の様子。「辰巳屋」という店でのこと。
同じく『駅前旅館』に、こんな一文が出てきます。

「私、まだ何のことやらわからなくなって、田様が万年筆や小切手帳など、印伝の合切袋に入れる手許を見てをりました。」

これは宿の番頭が、主人から、北海道への出張を頼まれる場面。
ここでの「印伝」は、印傳革のことでしょうね。

「………上々いんでんきんちゃく四つぶん…………………」。

万治二年の『松平大和守日記』九月二日のところに、そのように出ています。やはり「印傳革」のことかと思われます。万治二年は、西暦の、1659年ですから、印傳革は古くから日本にあったのでしょう。
もともとは印度傳来の革だと考えられていたので、「印傳革」の名前があるんだとか。いうまでもなく、鹿革に漆で模様を描いた革のことであります。

「革を専らとし、革も印伝を好しとすれども、印伝革は世に稀なる物故に、余りの舶来革をもつて日本にてこれを模造するなり。」

喜多川守貞著『近世風俗志』にも、そのように出ています。
これは「巾着」の説明でもあって。江戸期の武士が正装する折、腰から下げたという。
どなたか印傳革の、身体にフィットしたチョッキを仕立てて頂けませんでしょうか。

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