パールは、真珠のことですよね。真珠は、貝の宝物。すべての貝に真珠が生まれるわけではありませんから。
その意味での真珠は、突然変異の賜物でもあります。なにかの特別な異変から、邪魔者が貝の中に入ってくる。と、貝は自分の分泌物で、邪魔者を包んでしまう。その分泌物の珠が真珠なのですね。
真珠、パールは、よくネックレスに仕立てられます。真珠の頸飾りは、色艶、大きさを揃えなくてはなりません。高価なアクセサリイになるのも、いたし方のないところでしょう。
真珠の頸飾りから想い浮かべるものに、トゥイン・セッツがあります。たとえば、ハイ・ネックのスェーターと、カーディガンとが同じ色、同じ糸で編まれ、組み合わされているもののことですね。
エメラルド・グリーンのトゥイン・セッツに、パールのネックレス。これはただちに上品で、優雅な女性の印となります。「トゥイン・セッツにパール」。これはひとつの形容句と考えてよいでしょう。
パールのネックレスが出てくる小説に、『レベッカ』があります。1938年に、ダフネ・デュ・モーリアが発表した長篇。この中に。
「あなたが、黒繻子の衣装を着て、真珠の首飾りをかけてもいなければ、三十六歳のおばあさんでもないからです。」
これは「彼」が、未成年の「わたし」に対していう言葉。
『レベッカ』は今から百年ほど前の小説。それにしても「三十六歳」はおばあさんだったのでしょうか。時代とはありがたいもので、今の「三十六歳」はまだ少女でしょう。
ダフネ・デュ・モーリアのおじいさんが、ジョージ・デュ・モーリアなのです。1894年に、『トリルビイ』を書いたお方なのであります。
ジョージ・デュ・モーリアは、もともと画家。『パンチ』の常連だった風刺画家。そのジョージが絵筆をペンに持ち替えて書いたのが、『トリルビイ』。この劇の中で、女主人公がかぶる男性ふうのソフト帽が、「トリルビイ」なのですね。
『レベッカ』を読んでいると。
「かわいそうなフランクは、縞のシャツを着、海員靴をはいて………………」。
私は勝手に、ここから「バスク・シャツ」を想い浮かべたのですが。
もしも。三十六歳の女の子なら、バスク・シャツにパールのネックレスの選択もあるのかも知れませんが。