クロスワードとクラブ・タイ

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クロスワードは、言葉遊びですよね。頭の体操には、ぴったりです。
新聞や雑誌にも、クロスワード・パズルの欄があったりもします。一時期、クロスワード・パズルの専門誌もあったらしい。つまり、それだけクロスワード・パズルの愛好家が少なくないのでしょうね。
パズルを解きはじめてすらすら進み、最後のひと枡で詰まる。悔しいものであります。また、いかに自分が言葉を識らないかを、実感させられる場面でもあるのですが。
クロスワード・パズルそのものは、1913年にアメリカではじまっています。ただし、それを考えたのは、イギリス生まれの人物だったのですが。
1913年「ニュウヨーク・ワールド」紙12月21号に掲載されたのが、最初。ただし、その時の名前は、「ワードクロス」だったのですが。アーサー・ウインという人物によって。
クロスワード・パズルが出てくるミステリに、『ジェリコ街の女』があります。コリン・デクスターが、1981年に発表した物語。

「つづり換えだよ。“ 若僧 ” ( str ipl ings ) ー それが答だ。クロスワードに興味はないかね? 」

これは、モース警部が、エドワード・マードックに話かける科白。
なぜなら、モース警部の趣味がクロスワード・パズルと設定されているので。
では、どうしてモース警部はクロスワード・パズルが趣味なのか。作者の、コリン・デクスター自身、クロスワード・パズルが得意だから。もっともコリン・デクスターの場合、仕事でもあって。一時期、クロスワード・パズルの出題者だったという。
また、『ジェリコ街の女』には、こんな描写も出てきます。

「少年がふりむいたとき、モードリン・カレッジ・スクールの斜めに赤いすじのはいった黒いネクタイが目にはいった。」

文中の、「モードリン・カレッジ」は、M agd a l en e C ol l eg e
のことかと思われます。
なぜなら、コリン・デクスターは、ケンブリッジ大学の卒業なので。
「モードリン・カレッジ」はオックスフォード大学にもあって。こちらは、M agd e l en と綴ることになっていますから。
いずにしても私には「モードリン」の発音は、難しい。同じように、クラブ・タイの選び方は、私にはとても難しいものがあります。
なにか好みのタイを結んで。クロスワードの研究書を探しに行くとしましょうか。

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