ガスパールは、人の名前にもありますよね。ヨオロッパの男性に多い印象があります。
ガスパールでよく識られているものに、『夜のガスパール』があるでしょう。ベルトランが、1842年に発表した詩の題名。では、なぜ、『夜のガスパール』の題名なのか。
ガスパールはイエス・キリストの降誕と関係があります。イエス・キリストがお生まれになった時、「東方の三博士」がお祝いにやって来て。これは有名な話でしょう。その三博士のひとりが、「ガスパール」だったと伝えられているのですね。
なお、アロイジウス・ベルトランは1841年に世を去っていますから、没後の出版ということになります。
友よ、思い出すか、ケルンに行く途中
日曜に、ブルゴーニュの中心、ディジョンで、
鐘楼、教会大玄関、尖搭
ベルトランの『夜のガスパール』はフランスのディジョンを讃える内容になっています。
でも、ここにもうひとりのガスパールがいるのです。フランス人の、ガスパール・フェリックス・トゥールナシオン。そうは言ってもたぶんピンとはこないでしょうが。
これはナダールの本名なのですね。ナダールは、まあ筆名みたいなもの。本名は、ガスパール・フェリックス・トゥールナシオン。
十九世紀後半の巴里で活躍した写真家。いや、写真家の草分けと言って良い人物です。Nadar
と書いて「ナダール」。ひと言で説明するなら、肖像写真家だったお方。
1850年代以降、多くのフランス文人の肖像写真を撮っています。
1850年代は、肖像画の転換期。中世以来の肖像画は、特権階級のものでした。莫大な費用を必要としたので。さらにはモデルになるためには、長い時間立っている必要もありました。当時の王侯貴族にとっても重労働だったでしょう。
そこに登場したのが、写真機。この目新しい写真家にいち早く目をつけたのが、ナダールだったのです。
ナダールは1820年4月6日、巴里のサントノーレに生まれています。お父さんのヴィクトールは、巴里の印刷業者だった伝えられています。
若き日のガスパールは、巴里左岸でのボヘミアン生活。当時の藝術家と大いに遊んだという。この無為の時間が後で、ナダールに有効に働いてくれるのですが。
たとえば、1855年頃、ナダールはボオドレエルの肖像写真を撮っています。今、百科事典などでもボオドレエルといえば、このナダールの写真が使われているほどです。
詩人のボオドレエルもまた、ナダールのボヘミアン時代の友人だったのです。
「抽象的なものを除いてナダールがあらゆることで見事に成功するのを見て、私は嫉妬した。」
ボオドレエルはその著『赤裸の心』に、そのように書いています。
ボオドレエルとほぼ同じ時期に、テオフィル・ゴオティエの肖像写真をも写しています。アレクサンドル・デュマも、ジョルジュ・サンドも。いや、当時の文人でナダールに写してもらっていない作家を探すほうが、はやいかも知れません。
ナダールと関係ある絵師に、ルノワールがいます。若き日のルノワールはなにかとナダールの世話になっているらしい。
たとえば、1873年には、ナダール写真館に於いて、グループ展を開いています。
ルノワールが1874年に描いた絵に、『シャルル・クールの肖像』があります。今は、「オルセー美術館」の所蔵になっている一点。
シャルル・クールはルノワールの友人だった人物。おそらく盛夏のことなのでしょう。シャルル・クールは、白い三つ揃い服を着ています。白いシャツに、黒の蝶ネクタイを結んで。頭には、カノティエを載せています。
カノティエは、ボーター・ハットを指すフランス語。男女の別なく、カノティエと呼びます。
どなたか1870年代のカノティエを再現して頂けませんでしょうか。