ポアンカレは、人の名前にもありますよね。フランス人の名前に多いような印象があるのですが。
Poincare と書いて「ポアンカレ」と訓みます。フランス語ですから、最後のeの上にアクサンティギュが添えられるのですね
ポアンカレ。たとえば、アンリ・ポアンカレ。アンリ・ポアンカレはフランス十九世紀の偉大なる数学者であります。
『ポアンカレの予想』の理論でも有名なお方です。
アンリ・ポアンカレは1854年4月29日に、ナンシーに生まれています。フランス北東部の町。ジュール・アンリ=ポアンカレとして。
1913年から、1920年の間、フランス大統領であったレイモン・ポアンカレは、従兄弟だったそうですね。
アンリ・ポアンカレもまた、天才というべき人物だったようです。少なくともこの上なく早熟だったのは、間違いないらしい。
幼い頃のポアンカレは、口の回転よりも頭の回転のほうが速かったとか。伝説に事欠きません。
子供の頃は内向的で、本ばかり読んでいたとか。
アンリ・ポアンカレは八つでふつうの小学校に、進んでいます。成績はすべての科目で一番だったという。
とくに先生が舌を巻いたのが、作文の出来映えだったそうですが。
1871年8月に、「バカロレア」試験に合格。口頭試問でも、抜群の成績。
その後、ポアンカレは「グランゼコール」に進学。「グランゼコール」はフランス中の秀才が集まる学校。その中でも一番の成績を修めています。秀才のなかの秀才とでもいえば良いのでしょうか。
ある時、グランゼコールの学友が、ポアンカレが授業中にノートを取っていないことに気づいて。
ある授業が終った後、その日のいちばん難しい問題について訊いた。するとポアンカレは、的確に、優しく、説明してくれたという。
授業中、聞いていないようで、ノートを取ることもなく、ポアンカレの頭には入っていたに違いありません。
『ポアンカレの予測』は1904年に発表。これは百年の間、誰ひとり解く学者がいなかったとも伝えられています。三次元の数学。では、ポアンカレはいったいどのようにして難問中の難問の理論を編み出したのか。
「この霊感の結果を運用して、その直接の結論を引き出し、それを整頓して証明を書き下さなければならないのであるが、別けてもその証明を驗証することが必要である。」
アンリ・ポアンカレは『数学上の発見』という論文の中に、そのように書いているのですが。
ポアンカレは同じ論文の中で、「天啓」の言葉も使っています。
まあ、このあたりからして、凡人からははるか遠い天才なのでしょうが。
ポアンカレが出てくるミステリに、『白いカーネーション』があります。英国の作家、バロネス・オルツィが発表した短篇。
「しかしこれではポアンカレ大統領でもドイツ皇帝でもわからないじゃないか? 」
これは探偵役の「隅の老人」の言葉として。
『白いカーネーション』にはもちろん、白いカーネーションのことが出てきます。
「それに加えてこの運転手は、男がおそらくカーネーションと思われる大きな白い花をボタンホールに挿していたことも覚えいた。」
これはタクシーに乗った紳士の服装として。
男は燕尾服を着ているのですから、ホワイト・カーネーションは当たり前でしょう。
一般常識として、ディナー・ジャケットには、赤いカーネーション。イヴニング・ドレスには、ホワイト・カーネーションと定められているのです。
どなたかホワイト・カーネーションが映えるイヴニング・ドレスを仕立てて頂けませんでしょうか。