ティーとティアード・ケープ

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ティーは、紅茶のことですよね。日本語では紅い茶と書いて「紅茶」。これが英語になりますと、黒い茶で、「ブラック・ティー」となるんですね。
ブラック・ティーは必ずしも大袈裟ではなくて。英国の紅茶はブラック・ティーと表現したいほどに、濃い。この濃い紅茶に、うんと濃いミルクを加えて飲むのが英国式。これに慣れてしまうと、「紅い茶」では物足りなくなってしまうほどです。
紅茶が日本で一般に飲まれるようになったのは、明治の時代に入ってからのことなんだそうですね。それまでは日本の茶がありましたから。
明治期の紅茶はハイカラな飲み物だったのでしょう。

「ラムプの下に一椀の紅茶を啜りながら夜寒さを鳴くこほろぎ鈴蟲の音を聞けば」

明治三十二年十一月十一日の、正岡子規の手紙に、そのような一節が出ています。明治三十二年に、正岡子規は紅茶を飲んでいたことが窺えます。
これより少し前の、十月一日の正岡子規の手紙には。

「漱石氏は二年間英國留學を命じられ此夏熊本より上京
小生も久々にて會談致候」

そんなふうに書いてあります。

「約三十分の後彼は食卓に就いた。熱い紅茶を啜りながら焼パンにバタを付けてゐると、門野と云ふ書生が座敷から新聞を畳んで持つて来た。」

夏目漱石が、明治四十二年に発表した『それから』に、そのような一節が出てきます。ここでの「彼」が代助であるのは、言うまでもないでしょう。
ここからの想像ですが。夏目漱石の朝食には、紅茶が添えられていたのではないでしょうか。少なくとも漱石の小説に、紅茶が出てくるのは、間違いありません。

「「紅茶の後」とは静かな日の晝過ぎ、紙より薄い支那の器に味ふ暖國の茶の一盞に、いささかのコニヤツク酒をまぜ或ひはシトロンの實の一そぎを浮ベさせて」

永い荷風は、随筆『紅茶の後』に、そのように書いています。荷風もまた、紅茶がお好きだったようですね。

紅茶の種類のひとつに、「アール・グレイ」があります。その昔、英国のグレイ伯爵が好んだというので、「アール・グレイ」。
グレイ伯爵が中国風味の紅茶に出会ったのは、1896年のこと。以来、この紅茶がお気に召して。それに近いブレンドを行ったのが、はじまりなんだとか。今の、「トワイニング」が。具体的には、ベルガモットの薫りが豊かな紅茶なのですが。
紅茶が出てくる小説に、『ハードライフ』があります。
1961年に、アイルランドの作家、フラン・オブライエンが発表した物語。

「ある朝、オートミールとティー、パンとジャムの朝食がすんだころ、家の前に馬車がとまった。」

そして、ミス・クロッティが入ってくる。御者のハナフィンを従えて。

「縁のせまい山高帽、暗緑色のケープ付外套。」

これは御者のハナフィンの服装。この場合のケープ付外套は、「ティアード・ケープ」だったのではないでしょうか。tiered cape
。何段ものケープを重ねた外套。
どなたかティアード・ケープを仕立てて頂けませんでしょうか。

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