マトンとマント

マントは、羊のことですよね。mutton と書いて「マトン」と訓みます。これをフランスでは、「ムートン」と呼ぶわけです。
ムートンは、毛皮、マトンは食肉、なんかそんな印象もあるのですが。
羊は食べるべきなのか、着るべきなのか、迷ってしまいます。マトンが出てくる小説に、『砕かれた顔』があります。堀田善衛が、昭和三十八年に発表した物語。

「豪州のね、マトン、羊肉ね、これがまたとてもうまいものなんだ。羊肉は筋が多いけれど、豪州のやつはね、その筋がちっとも気にならんし、臭みも気にはならんのだよ。畜生、食いたいねえ」

これは「守屋」が、「弓削」に対する語りとして。豪州がオーストラリアのことであるのは、言うまでもないでしょう。堀田善衛はオーストラリア産のマトンを食べたことがおありなのでしょう。
マトンはどんなふうにして食べるのか。たとえば、ジンギスカン鍋。ジンギスカン鍋は一説に、ジンギスカンの鉄兜がヒントになっているんだとか。でも、ジンギスカンは十三世紀のお方ですからね。まあ、これは伝説のひとつなんでしょう。
でも、鉄兜を伏せたようなあの鍋は、羊肉の脂を下に落としてくれる点では、優れ物でもあるのでしょうね。
ジンギスカン鍋。これはフランスでもイタリアでも、あまり耳にはしません。日本発祥の料理ではないでしょうか。ことに、北海道の名物という感じもあるのですが。冬の北海道に行くとジンギスカン鍋が食べたくなってきます。
ジンギスカン鍋が出てくる短篇に、『手袋のかたっぽ』があります。永井龍男が、昭和二十四年に発表した名作。ただし、物語の背景は昭和十年代の中国におかれているのですが。

「鍋の下の仕掛は忘れてしまったが、成吉思汗鍋という鍋らしくない鍋は、直径一尺余の七輪のおとしを炮烙を伏せたように中高にしたもので、赤々と火を透かせていた。」

永井龍男は、そのように書いてあります。まだ、ジンギスカン鍋が珍しかった様子を思わせる文章になっています。
これもひとつの説ではありますが。大正十五年に、当時、中国に住んでいた日本人が言いはじめたんだとか。
昭和十一年には、東京、杉並に、「成吉思荘」という店があって、ここでジンギスカン鍋を食べさせた。そんな話もあるようです。
また、札幌のレストラン「横綱」では、昭和十ニ年にジンギスカン鍋を出したとのことです。たしかに昭和のはじめ、北海道で羊肉を食べることが勧められたことがあるのは事実らしい。その羊肉の代表選手がジンギスカン鍋だったのでしょう。
ジンギスカン鍋の専門店は、北鎌倉に一軒あった記憶があります。小さなトンネルの中に。今でもあるのでしょうか。
マトンが出てくる小説に、『若き日の芸術家の肖像』があります。ジェイムズ・ジョイスが、1916年に発表した長篇。

「蕪や、にんじんや、いためたじゃがいもや、マトンの脂身を、胡椒をきかせてメリケン粉をたくさんいれたスープでいっしょにたっぷりとよそおってもらうんだ。」

これは主人公のディーダラスの思惑として。当時のアイルランド、ダブリンには、そんな料理があったものと思われます。
ジョイスの『若き日の芸術家の肖像』を読んでおりますと。こんな一節も出てきます。

「スティーヴンは母親の薄着を見て、数日前バーナードの店の飾り窓で見かけた二十二ギニーの値札つきのマントを思い出した。」

「マント」manteau は「外套」のこと。日本では主に「袖無し外套」を意味するようですが。
どなたかムートンのマントを仕立てて頂けませんでしょうか。