アランは、人の名前にもありますよね。ふつう、Allan と書いて「アラン」と訓むことが多いようですが。
これがフランスになりますと、Alain になるんだそうですが。アラン・ドロンはこちららの書き方なのでしょうね。
一方、アメリカの映画俳優、アラン・ラッドは、Alan となるんだそうです。
アメリカの作家で、歴史に遺るお方に、エドガー・アラン・ポオがいます。ポオの場合は、Allan なんだそうですね。
エドガー・アラン・ポオは1804年1月19日、アメリカのボストンに生まれています。お父さんは、デイヴィット、お母さんは、エリザベス。ふたりとも舞台俳優だったと伝えられています。
日本にはじめて、エドガー・アラン・ポオが紹介されたのは、明治二十年のことなんだとか。『ルーモルグの人殺し』として。これは饗庭篁村の日本語訳だったとのこと。明治二十年「讀賣新聞」十一月三日号に掲載されたものの。
明治四十年には、本間久四郎が『名著新訳』として、ポオを日本語に訳しています。
この時、「序」として筆を採ったのが、夏目漱石。
「ポーは又短篇作家として有名な男である。今でも短篇を論ずるときにポーの引合に出ぬ場合は殆どない。」
夏目漱石はそのように書いてあります。
ポオの数多い短篇の中で、よく識られているものに、『アモンティリャードの酒樽』がありますね。1846年に発表された傑作。
「友は足どりも危なげに、歩むにつられて帽子の鈴が鳴った。」
そんな一行が出てきますこれ友人の酒蔵を歩いている時の様子として。
ポオの『アモンティリャードの酒樽』を、早くに読んだお一人に、小林秀雄がいます。小林秀雄は、『ポオ』と題する随筆の中に、次のように書いています。
「私が一番先に読んだポオの作品は、「アモンティリャードの酒樽」であった。どうしてそれを一番先に読んだかは覚えてゐないが、地下道で鳴るあの鈴の音はよく覚えてゐる。」
うーん、やはり読み方が違いますね。
アランが出てくる小説に、『ドリアン・グレエの絵姿』があります。英国の作家、オスカー・ワイルドが、1891年に発表した物語。
「召使は一礼して、引き退った。ほどなくしてアラン・キャンベルが入ってきたが、とても厳しい幾らか蒼ざめた顔つきで」
これはドリアン・グレエを訪ねたアラン・キャンベルの様子として。
また、『ドリアン・グレエの絵姿』には、こんな描写も出てきます。
「グロヴナー広場を南オードリー通りの角で、灰色のアルスター外套の襟を立てた、急ぎ足の男とすれちがった。」
これは、バジル・ホールワードという男の様子として。
「アルスター」ulster は、1867年に登場したと考えられています。アイルランドのベルファーストで。
「J・G・マクジー商会」が、旅行用外套として、売り出したので。
それはフード付き、共ベルト付きの、外套だったのですが。
どなたか昔のアルスターを、復活させて頂けませんでしょうか。