エプロンとエルボー・パッチ

エプロンは、前掛けのことですよね。料理などをする時、下の服が汚れないように掛けておく布のこと。
apron と書いて、「エプロン」と訓みます。エプロンは、ラテン語の「マッパ」mappa
と関係があるんだとか。「布」の意味だったそうですが。地図の「マップ」もここから出ています。地図とエプロンは遠い親戚なのでしょうか。
エプロンは漫画にも出てきます。『エプロンおばさん』。長谷川町子の原作。昭和三十二年の一月から、『サンデー毎日』での連載がはじまった漫画。もっとも『エプロンおばさん』の絵を見ると、割烹着を着ていることが多いのですが。まあ、割烹着もエプロンの一種ですからね。

「白いエプロンをかけた船のナースがシェンケでポルト酒かなにかを貰つてなめている。」

寺田寅彦が、明治四十二年に発表した紀行文『旅日記から』に、そのように出ています。これは香港での船旅の途中での様子として。日本の随筆に出てくる「エプロン」としては比較的はやい例かも知れませんね。

この騒ぎの中におかしかったのは、私があわてて理髪店をかけだしたので、首のまわりに例の白いエプロンを掛けたなりで家へ来てしまったことでした。」

西条八十は、随筆『エプロンの儘で』の中に、そのように書いています。これは大正十二年九月一日、昼頃の話として。つまりは、関東大震災の時に。
この日の西条八十は、午前中、散歩に。散歩の途中、床屋の職人に出会ったので、床屋に。その職人は、高田といったそうですが。
床屋に入って、半分くらい刈ってもらったところで、グラッと来た。で、高田と一緒に外に逃げた。そんな話をしているのです。
余談ではありますが、高田青年は、西条八十の詩の愛読者だったという。余談の余談。床屋の白いエプロン。あれは専門用語で、「刈布」(かりふ)と呼ぶそうです。

エプロンが出てくる小説に、『哄笑記』があります。野坂昭如が、昭和五十六年に発表した長篇。ただし、物語の時代背景は、戦後間もなくにおかれているのですが。

「日給五十円と破格で、お仕着せの制服にエプロン姿、ビールや鳥のフライなど、日本人ウエターが運び、真紀子たちは主に箱に積めた煙草を捧げ持って、客席をまわる。」

これは知り合いの喫茶店「ネスパ」の主人に紹介されたアルバイト。円山公園近くの米軍専用クラブでの仕事として。当時の日給五十円は、とんでもない金額だったのでしょう。
また、『哄笑記』には、こんな描写も出てきます。

「見栄もあるのだろう、食い物と引替えたホームスパン、肘とかたに皮を貼った背広を着て、犬と歩く手合いもいた。」

「肘と肩に皮を貼った」。これは「エルボー・パッチ」でしょうか。本来、肘部分を補強するための細部デザイン。その一方で、よりカントリー・ジャケットの気分を高めるためのものでもあります。
ちょうどエプロンを締めると、料理への元気が出てくるように。
どなたかエルボー・パッチ付きのホームスパンの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。