メリヤスは、ジャージーのことですよね。今はジャージー、昔はメリヤス。莫大小と書いて「メリヤス」と訓んだそうです。「大小莫なし」の意味で。つまりは伸縮性のこと。
今のTシャツも昔の人に言わせたなら、「メリヤスの肌シャツ」と言ったのではないでしょうか。
生地は織機で織る。これに対してメリヤスは編機で編む。
編機は、1850年に、ウイリアム・リーによって発明されています。これは奥さんが靴下を編む姿を見て、研究した結果だと伝えられています。
メリヤスが日本に伝えられたのは、延宝年間だとか。十七世紀のことです。ポルトガル船が運んできて。ポルトガル語の「メイアス」meias
からとも、スペイン語の「メディアス」medeas から出たとも言われているのですが。
目離那子を はいて蛤 踏まれけり
井原西鶴は延宝九年(1681年)に、そんな俳句を詠んでおります。
当時すでにメリヤスの足袋があったのでしょう。
「洋巾で張ツた蝙蝠傘をつきたってめりやすの筒袍をはだに着て」
明治四年に仮名垣魯文が発表した『安具楽鍋』に、そのような一節が出ています。
「莫大小のシャツや靴足袋、エップルのやうな類いが、手汚く並べられてあつた。」
明治四十三年に徳田秋声が発表した『足迹』に、そのように出ています。ここでの「靴足袋」が今のソックスであるのは、言うまでもありません。
明治二十六年に福澤諭吉が書いた『實業論』にもメリヤスが出てきます。
「明治十六年の「綿メリヤス肌衣」の輸入高、四四、四ニニ円だった。」
これでは、メリヤスが流行したのも当然でしょう。
メリヤスが出てくる『日記』に、『福永武彦戦後日記』があります。
「午後は頗る寒くメリヤスのシャツを着こみ靴下をはく。」
福永武彦は、1945年10月4日の『日記』に、そのように書いてあります。
福永武彦と親交のあった寺田 透は大正四年生まれのフランス文学者。福永武彦は大正七年の生まれですから、三歳ほどお兄さんだったことになります。
昭和三十年七月に、『夜の時間』が出版された時。福永武彦は、寺田 透に一冊差し上げた。署名入りで。
それがどういうわけかまわりまわって、古書店の目録に載った。一冊、九万円の値段がついて。
「寺田 透宛著者署名入り」というのでその値段になったのでしょう。
その古書店の目録を見た寺田 透、これは大変と、九万円用意して古書展にかけつけたら。すでに売れていて、後の祭。この話には、おまけがありまして。
後日、それを出した古書店のおやじさんが、寺田 透の所にやって来て。「二万円お返しします」。
もちろん寺田 透は二万円を受け取ることはなかったようですが。
福永武彦の『夜の時間』を読んでおりますと。
「メルトンじゃやぼに見えるわね。ウールジャージーじゃ高いかしら? どう? 」
そんな会話が出てきます。これは「ボン」という洋裁店でのやりとりとして。
「メルトン」melton
は、1823年頃からの英語。英国の詩人、バイロンが『島』と題する詩の中に。「メルトン・ジャケット」の言葉を織りこんでいます。もともとは、メルトン・モーブレーでの狩猟用上着の生地だったようですね。
どなたか1820年代のメルトンを再現して頂けませんでしょうか。