ドーヴァーとドニゴール

ドーヴァーは、イギリスの港町ですよね。ドーヴァー海峡を挟んでフランスの対岸。
イギリスからフランスへ。フランスからイギリスへ。今は列車で一直線に結ばれています。でも、二十世紀以前には、皆船旅だったのですね。
たいていはドーヴァーから、フランスのカレーへと船で渡ったものであります。

「十一月も押詰った金曜日の晩、この物語に現れる人物群の最初の一人の前に遠く延びているのはドーバー街道であった。」

チャールズ・ディケンズが、1859年に発表した小説『二都物語』のはじめに、そのような文章が出てきます。
もちろんこれはドーヴァーの船着場に馬車を走らせている場面として。物語の主人公はこれから巴里に渡ろうとしているのです。

明治三十六年に英国に旅した詩人に、野口米次郎がいます。野口米次郎に紀行文『霧の倫敦』があるのは、そのためなのですが。

「僕が巴里を辞しオステンドからドバーへ海峡を渡り、鉄道倫敦へ着したのは冬に入った十二月の某日。」

野口米次郎はそのように書いてあります。また「ドバー」とありますが、これはドーヴァーのことかと思われます。
ここに「鉄道」とあるのは、こういうことです。当時の客は列車に乗ったままだったので。列車そのものが船の中に納められたので。

ドーヴァー、カレー間は、約35キロ。海峡のいちばん深いところでも、ざっと54メートル。学者の説によりますと、古代にはイギリスとフランスは陸続きだったそうですね。

35キロは、泳いでも渡れる距離。1875年に、英国陸軍のマシュウ・ウエッブ大佐は、泳いで向こう岸に着いています。これ以来、泳いで渡る人が絶えません。
ただし問題は、流れと水温。流れが速い。水温が低い。それほど簡単なことではないよいですね。
急流で、水温が低くて。それでドーヴァー・ソールが珍重されるのでしょう。映画監督のアルフレッド・ヒッチコックは、ドーヴァー・ソールを空輸させていたとのことです。
「ドーヴァー」dover は隠語にもあるんだとか。料理業界でのスラング。一度出した皿を、次に温め直して客に出すこと。これを、「ドーヴァー」と。
ドーヴァーはロンドンの地名にもあります。「ドーヴァー・ストリート」。これは、バロン・ドーヴァーの名前に因んでのことですが。
ピカデリーの近くに。

ドーヴァーが出てくるミステリに、『四枚の羽根』があります。1902年に、英国の作家、アルフレッド・エドワード・ウッドリー・メイスンが発表した物語。

「ダブリン? いや、ドニゴールに行くつもりだ。舞踏会があるんだ。来てくれるかい? 」

これはフレンチ大尉の言葉として。
ドニゴールDonigal は、アイルランド、アルスターの町。ドニゴール・トゥイードの産地。
この「ドニゴール・トゥイード」の言葉は遅くとも、二十世紀のはじめには、用いられているようです。
たとえば、1903年版の「イートン・カタログ」にも、「ドニゴール・トゥイードのスーツ」が紹介されています。
また、「ウエスタン・ガゼット」の1905年8月5日号にも、「ドニゴール・トゥイード」の表現が出ています。

「私はあなた宛に、7ヤールか8ヤールのドニゴール・トゥイードの生地をお送り致しました。」

1909年10月27日付の手紙に、ジェイムズ・ジョイスはそのように書いてあります。この頃のジェイムズ・ジョイスは本気で、ドニゴール・トゥイードをフランスに輸入しようと考えていたようですね。
どなたかドニゴール・トゥイードのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。