ベルギーとペパー・アンド・ソルト

ベルギーは、王様のいらっしゃる国ですよね。首都は、ブリュッセル。港町には、アントワープがあります。
Antwerp と書いて、「アントワープ」と訓みます。このアントワープは英語式の訓み方。現地での言い方は「アントゥルペン」になるんだとか。
アントワープもまたおしゃれ語と無関係でもありません。アントワープの近くに、「デューフェル」Duffel
という町があります。昔むかし、ここで織られていた頑丈なウール生地が今の「ダッフル」の源なのです。この厚手のダッフルで仕立てられた外套なので、「ダッフル・コート」と呼ばれるようになったのであります。
英語としての「ダッフル」は、1677年頃から用いられているそうですから、古い。
アントワープの地名は、「ハントベルペン」から生まれたとの説があります。これは「手を投げる」の意味。
その昔、町中を流れるスヘルテ川に巨人が住んでいて。巨人の名前は、「ドゥルオン・アンティゴン」。この巨人アンティゴンは川を通る船から法外な通行税を取ったという。もし通行税を払わないなら、手を切り落として川に投げ捨てたとか。
この巨人を退治したのが、古代ロオマの勇者、シルヴィウス・ブラボ。ブラボは巨人をやっつけて、その手をスヘルデ川に投げ込んだ。もちろん、伝説のひとつなのでしょうが。
でも、アントワープの人びとは案外この伝説を大切にしているみたいです。
それというのも、アントワープの街を歩くと、「手」の標識が目立ちますから。
また、「手」の形のチョコレエトやビスケットなども店に並んでいます。

大正元年に、アントワープを旅した歌人に、与謝野寛がいます。もちろん、与謝野晶子と二人で。その時の紀行文が、『ブリュッセル』なのですが。

「夜は晶子と公園の木陰を散歩し、引返して旅館の近所の珈琲店で遅く迄音楽の中に居た。」

与謝野寛は、そのように書いています。たぶん公園で音楽会が開かれていたのでしょう。
与謝野寛は、「珈琲店」と書いて「キヤツフエ」のルビを添えているのですが。

「日本でよく見かける小さな法螺貝のような貝が多い。磯臭い香がして、うまそうに湯気が立って居る。」

大正九年にベルギーに旅した作家の徳冨蘆花あ、『白耳義から仏蘭西へ』の中に、そのように書いてあります。これはブリュッセルの街中での貝の立ち売り屋での様子として。
大正十一年には、俳人の高濱虚子が、アントワープに。高濱虚子は、紀行文『アントワープ行』を遺しています。この中に。

「ビールやサンドイッチを注文して休憩所の内は大分賑って居た。」

そんな文章が出てきます。そこで、一句。

給仕女も 胸に挿したり チューリップ

うーん、ベルギーのビールは特別美味しいですからね。

ベルギーが出てくる故事物語に、『東京故事物語』があります。昭和四十八年に、「河出書房新社」から出ている本。監修は、高橋義孝。

「大正九年ベルギーのアントワープで開かれた第七回オリンピックに、内田正練、斎藤兼吉の両選手がはじめて水泳に参加したが、」

これは『スポーツ東京地図』の項目に出ている話なのですが。
同じ項目に、ゴルフの話もあります。

「摂政宮はシモフリの上着に同じゴルフ・パンツ、」

これは大正十一年四月十九日、午前十一時半、駒澤ゴルフ場での日英皇太子同士のゴルフ競技について。
ここでの「シモフリ」は、英語の「ペパー・アンド・ソルト」のことでしょう。
俗に、ソルト・アンド・ペパー」とも。どちらも間違いではありません。
ただし、言葉の歴史としては、「ペパー・アンド・ソルト」のほうが、はるかに古く、1774年の頃から。
一方、「ソルト・アンド・ペパー」は、1915年の頃からだと考えられています。
どなたかペパー・アンド・ソルトのトゥイードのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。