ハンガーとバギー・パンツ

ハンガーは、「コート・ハンガー」のことですよね。
coat hanger と書いて「コート・ハンガー」と訓みます。
上着を掛けておく器具なので、「コート・ハンガー」と呼ぶわけです。
昔の言い方ですと、「衣紋掛」。これはもちろん、着物を掛けた一種の竿なのですが。たいていは竹で作られた、細長い竿。ここに着物を掛けて皺を防いだものです。
それが着物から洋服の時代になってからも、しばらくはハンガーのことを「衣紋掛」と言っていたのでしょう。
衣紋掛からハンガーへ。ごく簡単に言って、竹から木への変化だったことになります。
なぜ、ハンガーは木が良いのか。木には吸湿性があるから。服に染み込んだ水分を吸いとってくれるからです。
ハンガーの役目として、皺を伸ばすだけでなく、自然乾燥させてくれる点でも役に立ってくれるのですね。

衣紋掛が出てくる小説に、『野分』があります。明治四十年に、夏目漱石が発表した物語。

「影の隣りに、糸織かと思はれる、女の晴れ着が衣紋竹につるしてかけてある。」

ここでの「糸織」は、上等の絹織物のことです。
漱石は「衣紋竹」と書いてあるのですが。衣紋竹の言い方もあったのでしょう。
また小説の『煤煙』にも「衣紋掛」が出てきます。『煤煙』は、明治四十二年に、森田草平が書いた自伝的小説なのですが。

「では、ひとつお茶の熱いのを入れましょう」と立上つたが、ふと衣紋竿に懸けた胴着の紅い女の平常着が眼についたので、」

これは主人公が下宿に帰った時の伯母さんの様子として。
森田草平は「衣紋竿」と書いてあるのですが。
森田草平が夏目漱石の門弟だったのは、言うまでもありません。
森田草平は明治三十八年、二十四歳の時。駒込千駄木の自宅に漱石を訪ねて、弟子となっています。
ところが明治四十一年の三月。森田草平に恋愛事件があって。森田草平が教えていた英語学校の女生徒との間に、問題が。
その女生徒の名前が、平塚明子(ひらつか・はるこ)。後の平塚らいてうであります。
この恋愛のために、森田草平はほとんど世間から抹殺されることに。
その時、夏目漱石が森田草平に言った。
「すべてを小説に書きなさい」。
その結果として生まれたのが、『煤煙』。森田草平はこの『煤煙』で小説家として認められることに。世の中、わからないものですね。
この時期の森田草平に会った作家に、中 勘助がいます。

「ところが今日
では別に珍しくもなからうがその当時では瞠目的な恋愛?事件で森田氏は一躍有名になり、その問題を取扱つたのが

「煤煙」といふ小説で賑やかに文壇へ登場した。」

中 勘助は『寺田寅彦、森田草平、鈴木三重吉氏の思ひ出』と題する随筆の中に、そのように書いてあります。

ハンガーが出てくるアメリカの小説に、『ヤングマン・ウイズ・ア・ホーン』があります。
ドロシー・ベーカーが、1938年に発表した物語。その内容は、1920年代のジャズマンの話になっているのですが。
これは1950年に、カーク・ダグラスの主演で映画化もされているとのことです。

「新品でとおるズボンを四本ももっている、りっぱなつくりのハンガーも三つある。」

これは若き日のリック・マーティンの持ち物として。
また『ヤングマン・ウイズ・ア・ホーン』には、こんな描写も出てきます。

「リックはすそがひろいズボンにアイロンをかけ、靴をみがき、ふろにはいって頭を洗い、ひげをそった。」

これから出かけようとして。
「はばのひろいズボン」。たぶん「バギー・パンツ」baggy pats なのでしょう。
1920年代のジャズマンは、バギー・パンツを穿いていたのでしょう。
どなたか最上のバギー・パンツを仕立てて頂けませんでしょうか。