アカシアとアルバート・コート

アカシアは、木の名前ですよね。時期になりますと、小さな、白い花が咲きます。
acacia と書いて「アカシア」と訓みます。が、アカシアにもたくさん種類がありまして。
日本でいう「アカシア」は、実は「ニセアカシア」のことなんだとか。
アカシアと聞いてすぐに想い浮かべる曲に『アカシアの雨がやむとき』があるでしょう。

♪ アカシアの雨に うたれて このまま死んでしまいたい……

たしかそんなふうにはじまる曲だった記憶があります。歌ったのは、西田佐知子。

「アカシアの木立の多くは、どうかするとその花の穂先が私の帽子とすれすれになる位にまで低くそれらの花をぷんぷん匂はせながら垂らしてゐたが、」

堀 辰雄が、昭和九年に発表した『美しい村』に、そのような一節が出てきます。
この背景は当時の軽井沢になっているのですが。
堀 辰雄はアカシアの花がお好きだったのでしょう。アカシアについてえんえんと書いていますから。
昭和四十四年に、清岡卓行が書いた小説に、『アカシアの大連』があります。これは昭和四十五年に、「芥川賞」を受けているのですが。
ただし、物語の背景は戦前の大連になっています。

「どちらにも、柳、ポプラ、アカシヤなどの並木が、ほぼ五、六メートルの間隔で植えられていた。」

清岡卓行はその頃の大連の街の様子をそのように説明しています。
ほぼ同じ頃、大連に生まれ育った作家に、安田義子がいます。安田義子の小説に、『アカシアの大地遥か』が。この中に。

「物心ついた時、私は旧満州国の首都新京(現中華人民共和国東北地方)のアカシアの並木が続く幅員百米の通りに面した奥行きの深い家にいた。」
安田義子は、そのように書きはじめています。
清岡卓行の記憶となんとよく似ていることでしょうか。
アカシアが出てくる小説に、『サンクチュアリ』があります。アメリカの作家、フォークナーが、1929年に発表した物語。
余談ではありますが。この『サンクチュアリ』は好評で。フォークナーはこの印税で、家を一軒購入しています。

「遠慮がちに散りしいている、最後の偽アカシアの雪のように白い花びらを踏みつけていた。」

また、『サンクチュアリ』には、こんな描写も出てきます。

「すりきれたプリンス・アルバート・コートを着こんで、町と汽車のあいだに貸馬車を走らせはじめた。」

これは地主の「ホレス」という人物について。
ここでの「プリンス・アルバート・コート」は、典型的アメリカ英語。
イギリス英語でいうところの「フロック・コート」のこと。
その昔、アメリカを訪問したプリンス・アルバートが丈長のフロック・コートをお召しになっていたので。
どなたか現代的なアルバート・コートを仕立てて頂けませんでしょうか。