スタンドは、立つことですよね。
stand と書いて「スタンド」と訓みます。
今、辞書を開いて「スタンド」のところを探しますと、ざっと17の訳語が並んでいます。「スタンド」にもいろんな意味があるんですね。
たとえば、「スタンド・バア」だとか。もともとは立って飲む酒場のことだったのでしょう。実際にはカウンターが椅子があって。
たぶん「簡単なバア」の意味だったのでしょう。
「しかし心斎橋筋の一つ手前の畳屋町筋へ出るまでの左側にスタンド酒場の「ダイス」があるのだった。」
織田作之助が昭和二十一年に発表した小説『世相』に、そのような文章が出てきます。
織田作之助は「スタンド酒場」と書いて、「バー」のルビを添えているのですが。
少なくとも昭和二十一年には、「スタンド・バア」の言葉が用いられていたのでしょうね。
スタンドが出てくる随筆に、『ワシントンのうた』があります。作家の庄野潤三が、2006年に発表したものです。
「その翌日、スタンドで声援を送ってくれた藤沢恒夫さんが、選手全員と私を住吉の自宅に招いて慰労会をひらき、ご馳走を出してくれた。」
ここでの「スタンド」は、甲子園球場のスタンドなのですが。
庄野潤三の随筆集『ワシントンのうた』は、自伝風でもあって、作家の素顔を垣間見ることができる内容になっています。
「吉行の家に泊めてもらった翌日は、よく近くの一口坂のうなぎ屋からうな重をとって食べさせてくれた。ありがたいことであった。」
こんな文章も出てきます。ここでの「吉行」が、吉行淳之介であるのは言うまでもないでしょう。昭和二十六年頃の話として。
庄野潤三はまだ作家にはなっていなくて。大阪の「朝日放送」に勤めていて。東京に出張があったときに、吉行淳之介の家に。その頃、吉行淳之介の住まいは市ヶ谷にあったので。
その時代の「朝日放送」には朗読の時間があって。そのための原稿を、吉行淳之介に頼むことがあったので。
「二人で近くの有楽橋のそばの共同便所によりかかるような形になっている焼鳥屋へ出かけた。焼酎をのみながら、かなり長いあいだその屋台にいた。そのときから交友がはじまった。」
吉行淳之介は、『庄野潤三のこと』と題する随筆のなかに、最初の出会いをそのように書いています。昭和二十五年頃の話として。つまり、お二人とも作家になる前のことだったのですね。
その頃の吉行淳之介は、ある雑誌の編集者。たまたま近くの編集室で、庄野潤三と出会って。「飲みに行こう」となったものらしい。
ここで話は少し横道に。
吉行淳之介はいったいどこからうな重をとったのか。私の勝手な想像ですが。「秋本」ではなかったでしょうか。「秋本」は今も麹町にあります。吉行淳之介がうな重を食べるにふさわしい店です。余談おしまい。
庄野潤三の『ワシントンのうた』を読んでおりますと、こんな一節が出てきます。
「伊東先生は新調のスプリングコートを着用していた。「ちょっと派手すぎないかね」といって、気にしておられたが、よく似合っていた。」
この「伊東先生」は、詩人の伊東静雄のこと。庄野潤三は一時期、伊東静雄の授業を受けたことがあるので。
どなたか白いシルクのスプリング・コートを仕立てて頂けませんでしょうか。