深遠なる紺
ネイヴィ・ブルーは黒に近い紺のことである。ネイヴィ・ブルーが英国海軍の制服の色から来ていることは、言うまでもない。
ここでの「ネイヴィ」 navy とは、英国海軍に他ならない。
ブルーの種類はあまりに多い。その数多いブルーのなかで、もっとも多く使われる色が、ネイヴィ・ブルーであろう。それは世界中のユニフォームを一堂に集めてみれば、すぐに納得されるに違いない。と同時に、ネイヴィ・ブルーは無敵の色でもある。およそネイヴィ・ブルーが通用しない場所は、ない。また、相手にどんな色が来てても、しっかり受け止めてくれる。
考えてみれば、幼稚園の制服もまた、ネイヴィ・ブルーではなかったか。ただ、「ネイヴィ・ブルー」の言葉のあることは、知らなかったが。色の名前を知るより前に、その中に身体を入れていたわけである。
ブルー・ネイビー、ブルー・ベイビー………
1960年代のはじめ、そんなアメリカン・ポップスがあった。「わたしの彼が海軍に入ったので、会えなくて淋しいわ……」たしかそんな歌詞で、伊東ゆかりなども歌っていたように思う。
この歌の「ネイビー・ブルー」と、色としての「ネイヴィ・ブルー」と、どちらを先に認識したのだったのか。今ではもう漠としている。少なくとも1960年代はじめ、「ネイヴィ・ブルー」は、今ほど一般的ではなかった。
「一七四八年に将校服が制定せられた。青地に赤又は、赤地に青を採用すべしと云ふ説が有力であったが、Geoge Ⅱ はたまたま公園で出会った某侯爵夫人の着服から青地に白を配した制服を案出した。」
中川芳太郎著『英文學風物誌』 ( 昭和八年刊 ) にはそのように出ている。もちろん英国海軍のユニフォームの歴史にふれて。
この説に従うなら、1748年頃、英国海軍と、ブルーとが出会っているわけだ。ただしそのブルーが今日のネイヴィ・ブルーであったかどうかは断定しがたい。それはともかく国王自らが決定したところには注目に価する。
それからざっと百年後の、1857年に制服の改定が行われている。さらに1891年にも、見直しがあって、それはほぼ現在のユニフォームの原型であったらしい。
今、ごくふつうに「ブルー・ジャケット」 blue jacket といえば、「水兵」の意味になる。それにも十八世紀以来の伝統を背景にしてのことであろう。
「彼はネイヴィ・ブルーの服を着ていた。」
フレデリック・マリアート著『哀れなジャック』 (1840年刊 ) の一文。フレデリック・マリアートはもと英国海軍の軍人。後に海洋小説家になった人物。そしてまたこれは「ネイヴィ・ブルー」の、比較的はやい例であろうと、考えられている。ということは、おそらく「ネイヴィ・ブルー」は、1830年代から一般化しはじめた言葉ではないだろうか。
「羚羊のような脚に何時もネビーブルウのソックスに……」
林芙美子著『浮雲』の一節。「ネビーブルウ」は、おそらくネイヴィ・ブルーのことであろう。時代背景は、昭和十七年頃のこと。場所は、アジア。少なくとも林芙美子は、その頃から、ネイヴィ・ブルーが何であるか、知っていたわけである。
では、ネイヴィ・ブルーとはどんな色であるのか。
「正統なネイヴィ・ブルーとは、かなり黒に近い色なのだ。多くの人々が思っている色よりも、さらに深く、濃い紺なのである。これまでの長い間、私たちはそれほど深くはない紺をネイヴィ・ブルーだと信じてきたのである。」
ハーディ・エイミス著『ファッションのABC』には、そのように説明されている。ハーディ・エイミスの語る「ネイヴィ・ブルー」の全文がこれである。
正統なるネイヴィ・ブルーは、深遠なる紺なのであろうか。