ガレは、人の名前にもありますよね。Galle と書いて「ガレ」と訓みます。フランス語なら最後のeの上にアクサンティギュが添えられるのですが。たとえば、エミール・ガレは広く識られている人物でしょう。「ガラスの詩人」と謳われた人物ですね。エミール・ガレは1846年5月4日、フランスのナンシーに生まれています。お母さんの実家は、鏡の製造業だったという。お父さんの名前シャルル。そんなこともあって、お父さんのシャルルはナンシーでガラスを店を開いていたとのこと。エミール・ガレは生まれた時からガラスの中で暮していたことになります。1876年にガレが制作した花壜に、『鯉』があって。この題の通り「鯉」が描かれた花壜だったのですね。ただしその鯉は、日本画ふうに描かれているのです。ガレが日本画に興味を持っていたのは、間違いないでしょう。ガレの日本趣味は、高島北海と関係があるらしい。高島北海は日本の絵師。絵師であると同時に、当時の工部省の役人でもあったお方。高島北海は明治十七年に、明治政府から、ヨオロッパへの留学を命じられて。明治十八年には、ナンシーの、「水利林業学校」に入っています。1885年のナンシー。おそらくここで、ガレと北海とが出会ったものでしょう。事実、北海はナンシーで多くの水墨画を描いているのですね。そのうちの何点かはガレの注文によるものだったそうです。1886年2月20日付の電報に、「「北斎」へのお礼」があります。これはエドモント・ゴンクール宛の電文。エドモント・ゴンクールは1896年2月13日に、『北斎』を刊行。それをガレに贈ったことへのお礼だったのですね。ゴンクールもまた、ガレに日本趣味があることをよく知っていたので。ガレは1878年に、『ガラス鉢』を制作。これは当時の「パリ万博」にも出品された名品。そこには明らかに北斎の素描が描かれているのです。これは端的な一例ですが、ガレが北斎を敬愛していたことは疑えない事実であります。ガレが出てくる小説に、『失われた時を求めて』があります。マルセル・プルーストの長篇。「ガレのガラス器のなかに積もる雪をあらわすかに思えた。」これは窓から眺めている海の光の様子として。プルーストは単に文章の中にガレを登場させただけでなく。実際にもガレの器を愛用したとのことです。1902年12月3日。プルーストはガレの工房を訪ねて、花壜を注文しています。また、『失われた時を求めて』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。「さらに小さな娘らが身につける踊子のチュチュかと見紛う紗のドレスなど、」「紗」は、薄い絹地を指す日本語。フランス語なら、「ガーズ・ド・ソワ」gaze de soir でしょうか。その昔、パレスチナのガザGaza で織られたので、その名前があります。どなたかガーズ・ド・ソワのシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。