ダイヤとダウン

ダイヤは、ダイヤモンドのことですよね。
昔の日本では、「金剛石」とも言ったんだそうですが。
ダイヤモンドの価値は古代ギリシアでも識られていたとのことです。固い金属などを磨くための石として。
なぜなら、研磨の方法が発見されていなかったので。
ダイヤモンドは研磨によって美しくなる石なのです。
「ダイヤモンドの中のダイヤモンド」と言って良いにが、コ・イ・ヌールKoh i noor 。いや、「ダイヤモンドの王」でありましょう。
コ・イ・ヌールに値段をつけることはできません。
現在、コ・イ・ヌールは英国王室所蔵となっています。ロンドン搭に保管されていること、ご存じの通り。
コ・イ・ヌールはインドの言葉で、「光の山」の意味があるんだとか。
今のコ・イ・ヌールは、93カラット。それ以前には、190、3カラットだったという。
93カラットのコ・イ・ヌールは、王冠の正面に飾られています。
コ・イ・ヌールは、古い時代のインドで偶然に発見されています。
インドで聖なる川とされる「ヤム川」で、葦と葦との間に眠っていたとのこと。それを「カルナ」という少年が見つけたんだそうです。
その後のコ・イ・ヌールは、シバ神仏像の額に嵌め込まれて。さらに長い時代の中で、不思議な運命に弄ばれて。
インドの宝、コ・イ・ヌールがイギリス王室に献上されたのは、1850年のこと。
コ・イ・ヌールを載せた英国軍艦「メディア号」が、インドの港を出たのは、1850年4月6日のこと。
この時のコ・イ・ヌールはまだ、190、3カラットのままだったという。
同じ年の6月30日に、プリマス港について。さらにポーツマス港に運ばれています。
コ・イ・ヌールは、1851年5月1日から開催された「大英博覧会」に展示されています。
その後、英国の宝飾店「ガラード」で研磨。この研磨は成功で、誰ひとり文句のつけようがない仕上がりだったとのことです。コ・イ・ヌールの魅力を最大限に引き出した点において。

明治の日本でダイヤモンドを有名にした小説に、『金色夜叉』があります。明治三十年に、尾崎紅葉が発表した物語。

「紳士は彼等の未だ曾て見ざりし大きさの金剛石を飾れる黄金の指環を穿けたるなり。」

ここでの「紳士」が、富豪の冨山唯継であるのは、言うまでもないでしょう。
このダイヤモンドの値段は、三百円だと説明されています。
尾崎紅葉は慶應三年十二月十三日に、今の芝大門に生まれています。
お父さんは、尾崎惣蔵。お母さんは、庸。
この尾崎惣蔵の藝名が、「谷斎」。角彫の名人。動物の角に彫刻するので、角彫(げぼり)と言ったものです。
その時代はまだ着物姿で、根付けが欠かせなかった。
谷斎はこの根付けを得意とした。その一方で、たいこもちも。幇間。
谷斎が座敷に来ると、座が華やいだという。それで、寄席や相撲は木戸御免。福の神が来たというので、歓迎されたそうです。
谷斎は、人読んで、「赤羽織の谷斎」。いつも赤い羽織を着ていたので。
でも、尾崎紅葉自身は、父の存在を秘めに秘めて。まわりの編集者も谷斎と紅葉との関係は知らなかったそうです。
ええと、ダイヤモンドの話でしたね。
ダイヤモンドが出てくるミステリに、『薔薇荘にて』があります。
1910年に、英国の作家、A・E・W・メイスンが発表した物語。

「その耳飾りというのは、リカード氏が庭で揺れて光っているのを目にした、あのダイアモンドの耳飾りに違いなかった。」

また、『薔薇荘にて』には、こんな描写も出てきます。

「だがその刹那、慎重に扱っていたにもかかわらず、クッションの中の綿毛が膨れて、表面のしわと凹みが消えてなくなり、」

これは探偵のアノーがクッションを調べている場面でのこと。
ここでの「綿毛」は原文では、「ダウン」down になっています。
ダウンは、水鳥の下毛。フェザーではなく、ダウン。ダウン・ボールの言い方があるように、小さな球の形をしています。
ダウンは空気を多く含むので、軽量、最高の保温材なのです。
どなたか本物のダウンで外套を仕立てて頂けませんでしょうか。