ピカソが愛したものは、女性と鳩ですよね。鳩も女性も多く題材として描いています。
そのために、というわけではありませんが。晩年のピカソは南フランスの自宅で、鳩を飼っていました。鳩は自由に飛びまわる。そのために。
「ピカソのアトリエに自由に入れるのは、鳩だけだ」。
そんな言葉が生まれたほどに。事実、娘が生まれたとき、「パロマ」の名前を与えているほどです。
晩年のピカソが好きだったもののひとつに、ソールがあります。舌ビラメ。舌ビラメばかりは、フランス語でも英語でも、「ソール」 sole 。なんと「靴底」に似ているというんですね。
フランスではたいてい、「ボンヌ・ファム」といって、オーヴンで包み焼きに。
ピカソは舌ビラメが好きだったし、また、ジャクリーヌの得意料理でもあったのでしょう。ピカソはゆっくり舌ビラメを食べる。丁寧に、食べる。最後は両手を使って、しゃぶるようにして。と、とうとう、骨だけに。ピカソは骨だけになったソールをじっと見る。すると、なにかが浮かぶのでしょう。
骨をアトリエに持って行き、やわらかい陶板の上に。ピカソは「骨」の絵皿をたくさん作ってもいます。たぶんピカソにとっては生活することが、そのまま芸術だったのでしょう。
1932年のピカソも多作で、『鏡の前の少女』をはじめ、多くの絵画を完成させています。
1932年のニューヨークに生まれたのが、ハーバート・バークホルツ。ハーバート・バークホルツが、1987年に発表したのが、『心を除くスパイたち』。この中に。
「コートはネイヴィー・ブルーのピー・ジャケットだった。ウールの帽子まで用意してあった。」
外は、雪。寒い。それで、「用意」してくれたわけですが。一般には、「ピー・ジャケット」pea jacket と呼ぶことが多いようですね。