リヨンは美食の都なんだそうですね。
たしかにリヨンには、知る人ぞ知る、静かなレストランが少なくないようです。レストランもそうですが。リヨンには美しい川が流れていて。時折、この川添いに野外の店が出て。ちょっとしたクロケットのようなものを並べる。これがまた、悪くないんですね。
戦前のリヨンの様子を知るには、『フランス通信』が最良のものです。瀧澤敬一の名随筆。瀧澤敬一は長いリヨンに住み、リヨンで世を去った人物。
瀧澤敬一はもともとリヨンの「横濱正金銀行」に勤めていたお方です。明治の時代から横濱とリヨンは絹の取引があって、銀行もまた必要だったのでしょう。瀧澤敬一の先輩には永井荷風もいて、一時期「横濱正金銀行」に席をおいていたようです。
瀧澤敬一はなにもリヨンのことだけを書いていたわけでなく、『フランス通信』には巴里の話も出てきます。たとえば、『釣猫街』とか。
「ノートル・ダームの前をセーヌの左岸に渡り、サン・ミッシェル河岸からその裏通りに抜けようとする路地であって、巴里では一番狭くて短い町かと思ふ。」
と書いています。「リュー・ド・シャキエペッシェ」。訳して、「釣猫街」。その昔、この通りに、猫が魚を釣っている絵の看板があったそうな。
瀧澤敬一は『釣猫街』の中で。
「赤い頸巻をしたアパッシュ階級の若衆や………」。
とも書いています。今に「アパッシュ・スカーフ」言います。が、これは昔の巴里の「アパッシュ」が使ったので、その名前があります。
リヨンの名随筆が瀧澤敬一なら、リヨンの名小説は遠藤周作でしょうか。遠藤周作の『青い小さな葡萄』は、リヨンが背景。というよりもリヨンの霧の夜を歩いている気分に浸れる小説です。『青い小さな葡萄』の中に。
「レインコートは小さなその背丈をすっぽりと包み………」。
この「レインコート」は、印象的に何度も出てきます。外は、霧なので。
でも最近は着丈の長い「レインコート」、あまり見かけなくなりましたね。