珈琲と鳥打帽

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珈琲の好きな人は、少なくないでしょうね。珈琲は今では、世界のほとんどの国で飲まれているようですが。
フランスにコーヒーノキが伝えられたのは、1772年のことだったそうです。このコーヒーノキは、アムステルダムからルイ十四世に献上された、珍しい木だったのです。パリの植物園に大切に植えられたこと、言うまでもありません。
よく知られているように、コーヒーノキは赤道直下あたりの土地が、もっとも栽培に適しています。 それで、コーヒーノキをマルティニーク島に移そうと。マルティニークはフランス領ですから。
そのコーヒーノキを実際に運んだのが、クリュウという人。その頃、フランス海軍士官だった、ガブリエル・ドゥ・クリュウ。クリュウは自分で、保育器のような小さな温室を作って、 苗木を運んだという。
長い船旅の中、クリュウはコーヒーノキをわが子のように、大切に。でも、困ったのが、水。だんだんと船の水が少なくなって。毎日、少しづつ割当制に。クリュウは自分の飲み水をコーヒーノキに与えたそうですね。その結果、コーヒーノキは無事に、マルティニークに到着。今も、マルティニーク島にはクリュウの運んだ子孫が緑の葉を伸ばしているそうです。
珈琲がお好きだった作家に、小島政二郎がいます。小島政二郎は、明治二十七年のお生まれ。で、百歳までお元気だった。珈琲と長寿はなにか関係があるのでしょうか。

「パリ土産のフィルトルは、お饅頭ぐらいの大きさのものだった。」

小島政二郎著『食いしん坊』には、そんな風に出ています。昔の巴里では、簡単なフィルター式の容器を使って珈琲を飲むことが、多かったらしい。 それを「フィルトル」と呼んだ。
小島政二郎は友だちの佐々木茂索に頼んで、「フィルトル」を買ってきてもらったんだそうですね。また、『食いしん坊』にはこんな話も出ています。

「鳥打帽をかぶって、細いステッキを突いて、四谷の 横丁から横丁へと当てもなしに歩いていると言った風だった。」

これは、四谷で偶然、泉 鏡花に出会ったときの様子。ということは泉 鏡花、着物に鳥打帽だったのでしょうね。
好きな鳥打帽を被って、好きな珈琲を飲みに行きたいものです。

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