ウエディングとウォルセイ

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ウエディングは人生の祭典ですよね。人はいったいどんな風にして、人生の祭典に漕ぎつけるのか。
大恋愛の末に。では、どのようにして大恋愛がはじまるのか。もちろん人様ざまでしょうが。ある男の場合は、巷の写真館で。
ある男、町を歩いていて、とある写真館の前で立ち止まる。美しい女の人の写真が掲げられていたので。それはまあ、時にあることでしょう。が、この男の場合は、胸がときめいた。「ぼくの奥さんになる人がここにいる」と。で、写真館に入って、佳人の連絡先を教えてもらう。
時は、明治四十三年。所は、日本橋。当時の呉服町にあった「中島写真館」。男の名は、榊原政雄。見初められたのは、多満。
明治四十四十年二月五日。政雄と多満は、結婚。榊原政雄は、「満州日日新聞」の記者。多満は、ウイリアム・バートンの娘でありました。ウイリアム・バートンは人呼んで「バルトン先生」。バルトン先生は、明治二十年に来日。東京帝国大学の教授となっています。明治二十三年には、「凌雲閣」を設計。「凌雲閣」は俗に、「浅草十二階」。その時代の東京名所のひとつでもありました。
明治二十七年。バルトン先生は、荒川満津と、結婚。その娘が、多満だったのですね。バルトン先生ことウイリアム・バートンは、1856年にスコットランド、エディンバラに生まれています。
スコットランドのもう少し北に、シェットランドがあります。そのシェットランドの東に、寄り添うように位置するのが、ウォルセイ島。ウォルセイ島から幕を開けるミステリが、『野兎を悼む春』。2009年に、アン・クリーヴスが発表した物語。この中に。

「ウォルセイ島へきたのは、この島の編み物についてイヴリンからはんを聞くためだった。どうやら、ウォルセイ島の編み物は独特らしい。」

アンナ・クラウストンがなぜ、ウォルセイ島にやって来たのかの説明なんですね。ということは、「ウォルセイ・スェーター」があるのでしょう。シェットランドとも、フェア・アイルとも違う、また別のスェーターが。気になりますね。見てみたい、着てみたい。どこか写真館に飾ってはいませんかね。

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