巴里には有名人が多いですね。1920年代の巴里で、もっとも有名だった女は、キキ。キキは、愛称。本名は、アリス・プラン。でも、誰もアリスとは呼ばずに、「キキ!」。というよりも、本名のアリス・プランを知ってる人なんて、たぶんいなかったのでしょう。
キキは、絵のモデル。1920年代の巴里の若き芸術家で、キキを描かなかった人はそう多くはないでしょうね。
いや、絵はもちろんとして、写真のモデルにも。マン・レイは多くのキキの写真を撮っています。キキを写したマン・レイの写真でいちばん知られているのは、『アングルのヴァイオリン』。後ろ向きの女の背がヴァイオリンになっている作品。あのモデルは、キキ。
マン・レイがアメリカから巴里にやって来たのは、1921年の7月。その年の12月には、「リブレリー・シス」で、個展を開いています。その少し前、カフェでキキを見かけて、隣に座っていたマリーに訊いた。「あの女は誰?」。それに対するマリーの答え。
「まあ、あなた。キキを知らないの?」
それからすぐに、マン・レイはキキに、恋を。マン・レイはキキに、言った。
「キキ! そんな顔をしてぼくを見つめないでくれ! 君はぼくの心を乱すよ………、!」
これは、キキ著『キキ』に書いてありますから、ほんとうの話なんでしょう。余談ですが、『キキ』の序文には、藤田嗣治が筆を執っています。「わが友キキ」と出して。藤田嗣治もまた、『寝室の裸婦キキ』を描いています。1922年に。
キキは『キキ』の中に、当時の巴里の様子をこんな風に書いています。
「朝になると、ラップ・ズボンをはいた若者や、はつらつとした若い娘たちが………」。
これは、画学生が学校に通う風景なんですね。たぶん裾拡がりのパンタロンが流行っていたのでしょう。