マトリョーシカとマリン・ブルー

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マトリョーシカは、ロシアの民芸品ですよね。人形のなかに、人形が。そのまた人形のなかに人形が………。
マトリョーシカに付きものは、サラファンと、プラトーク。どちらもロシアの民族衣裳。
♬ 赤いサラファン………。
とはじまる歌があるのはご存じでしょうね。もちろんロシア民謡、「赤いサラファン」。サラファンは、ジャンパースカートに似ています。プラトークは頭からすっぽりと被る大判のスカーフのことです。たいていのマトリョーシカはサラファンを着て、プラトークを被っています。
大きいマトリョーシカもあれば、小さなマトリョーシカもあります。だいたい五つがセットになっているようです。もっとも数に決まりがあるわけでなく。七つもあれば、三つもあります。中には、三十という記録的なマトリョーシカもあるらしい。
マトリョーシカの裏を見ると。署名が入っていることも。いわゆる「作家物」です。さらには制作年代が記されていることもあります。ただし、マトリョーシカの仕上げはすべて、手作業なのですね。
マトリョーシカが世界に知られるようになったのは、1900年のこと。1900年の、パリ万博に出品されてからのことです。あのマトリョーシカには、菩提樹や白樺のきが使われる。もともとはモスクワにも近い、セルギエフ・ポサードで、1890年頃からマトリョーシカが作られていたという。それは、幼児教育が目的だったとか。
一説に、マトリョーシカの源は日本とも考えられています。明治の頃、箱根に「七福神」という人形があった。中くらいの手彫りの人形で。中に七福神が収められていて。この箱根細工の「七福神」がなにかの折にロシアに伝えられて、ロシアの「マトリョーシカ」が生まれたのだ、と。
マトリョーシカの出てくる小説に、『たった一つの父の宝物』があります。1990年に、アンドレイ・マキーヌが発表した物語。

「色のはげたマトリョーシカの下半分には鉛筆がいっぱい立てられ…………」

これは、すヴェートカの部屋を、オーリャがのぞいている場面なんですね。
また、こんな描写も。

「体にぴったりのマリンブルーのスーツを着て鏡に映ると、イヴァンはそれが自分だとは思えなかった。」

「体にぴったりの」スーツは、着る人の印象を変える。「心にぴったりの」スーツは、着る人の人間性をも変える。それがマリン・ブルーであろうとなかろうと。

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