松山とマフラー

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松山といえば、『坊ちゃん』ですよね。もちろん、夏目漱石の小説。物語の背景は、松山。今でも松山に行くと「坊ちゃん◯◯」という名物が少なくありません。
『坊ちゃん』もそうなんだそうですが。夏目漱石の初期作品は多く『ホトトギス』に掲載されています。『ホトトギス』はもともと、句誌。もし漱石は小説家でなければ、俳人になっていたかも知れません。
だいたい松山生まれの人には俳人が多い。松山出身の俳人を思えば、枚挙に暇がありません。一度でも松山の空気を吸うと、俳句が上手になるみたいですね。おそらくその空気の源は、正岡子規にあるのでしょう。
松山で有名なものに、道後温泉と一六タルト。道後温泉に入って、一六タルトを食べると、突然、俳句が上手くなるかも。
でも、松山にはもうひとつ、能があります。「東雲神社」の能。松山藩主は、久松家で、明治維新の時に代々伝わる能装束を整理する話があったそうですね。
その時、払下げを願い出たのが、高濱信夫。高濱信夫は、高濱 清のお父さん。高濱信夫は、東雲神社と相談して、松山に能を遺すことにしたのです。
高濱 清が、後の高濱虚子であるのは言うまでもありません。そんなわけで、高濱虚子は俳句の一方で、若い頃から能に親しんでいたという。能における虚子の先生は、櫻間金太郎。句における先生は、子規。子規が清から「虚子」の名を与えたのですね。

襟巻を 編むべき黒の 毛糸かな

虚子の句にそんなのがあります。黒のマフラー。それは誰のお好みなのか。もしかして、虚子のマフラーになったのですしょうか。
まあ、黒のマフラーなら、たいていの服に合わせられますからね。黒のマフラーで、松山に行きましょうか。

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