太陽から生まれた神秘の布
マドラスはふつう、鮮やかな色、大胆な格子柄の布地を指す。ファッション用語の「マドラス」は、最初の母音にアクセントがくる。が、地名としての「マドラス」は、最後の母音にアクセントが置かれる。
地名のマドラスは、1996年に今の「チェンナイ」に変更された。旧マドラスは、1640年に英国人が「マドラス」と命名したことにはじまる。それ以前の名称が「チェンナイ」だったのだ。当時の「マドラス」は、インドとイギリスとの交易所であったという。
旧マドラス( 今のチェンナイ) は古くから織物業の盛んな土地であった。この様ざまな織物の中に、マドラスもあったのだろう。
マドラスは必ずしも凝った布地ではない。それは平織りであり、縦横に自在に色糸を配して仕上げられる。マドラスはおそらく自然発生的に生まれたものと思われる。それは初期のマドラスが主に、ターバン用の生地であったこととも関係しているであろう。太陽の熱から頭を守るために、なんらかの布が必要だったのであろう。
ターバンは回教徒の人にとっては帽子でもある。一枚の布を頭に巻くことで帽子に仕上げてしまう。そのための布がインドでは『マドラス」であったのだ。
十九世紀になって「マドラス」は広く世界に輸出される。その主な積み出し港がマドラスであったので、「マドラス」と呼ばれるようになったものである。
「黒人の仕官たちは皆、そのふさふさとした頭を、マドラス・ハンカチーフで包んでいる。」
これは1833年に発表された『トム・クリングルの小屋』の一節。著者は、マイケル・スコット。マイケル・スコットは、スコットランドの作家。ここから想像するに1833年頃には、「マドラス・ハンカチーフ」として、使われることがあったのだろう。たしかに頭に巻く布であるから、「マドラス・ハンカチーフ」の表現が思い浮かんだのに違いない。ただしこの時代のマドラスは、シルク地であったのだが。コットンによるマドラスは十九世紀後半以降のことであろう。
「タイイング・ヘッドと呼ばれる、マドラスを頭に巻く儀式が完了した。」
『仏領西インドでの二年間』( 1890年刊) には、そのように出ている。著者は、ラフカディオ・ハーンである。ここでもマドラスとターバンとが深く結びついている。
十九世紀のイギリスをはじめとするヨーロッパの人びとにとっては、マドラスはターバン用の布であり、また同時にその鮮やかな色彩にも目が奪われたに違いない。では、この異国情緒あふれる生地を何に使おうとしたのか。まずは、カーテンであった。それは部屋を明るくし、エキゾチックに彩るには最適であった。もちろんシルクのカーテンとして。
「明るい色のストライプやチェックに仕上げられた、繊細で、柔らかい布である、フレンチ・マドラス……」
これは1897年度版『シアーズ・ローバック』のカタログの説明文。おそらくはこれもカーテンのための生地であったと思われる。ここで言い添えておくと、マドラスそもそものはじまりは、ストライプ柄であったのだ。
マドラスについてはよく「ブリーディング」 bleeding の言葉が使われる。これをあえて日本語にするなら、「泣く」であろうか。「ブリーディング」は実際には「滲み」のことである。真新しいマドラスを着たり、洗ったりしているうちに、色柄が滲んでくる。これがブリーディングであり、「泣き」なのである。
昔のマドラスは、手紡ぎ、手染め、手織りであったので、着ているうちに滲むことがある。その味わいがまたよろしい。というので「ブリーディング」と呼んだのである。
それはともかく、今のマドラスはシャツやショート・パンツをはじめとして、多くのファッションに活かされる。そしてマドラスもまたカレーに似て、世界を席捲したインドならではの文化なのである。