玳瑁は、鼈甲のことですよね。
鼈甲は、鼈の甲羅です、鼈甲。あたり前のことですが。
「鼈甲の櫛」だとか、「鼈甲の眼鏡」。第一、「鼈甲色」というではありませんか。
子どもの頃に、「鼈甲飴」を食べた記憶はどなたかにもあるでしょう。
ところが、今、私たちがごく自然に「鼈甲」と呼んでいるものの正体は、玳瑁なのですね。
玳瑁と書いて、「たいまい」と訓みます。約60センチくらいの、中型の海亀のことです。玳瑁は成長するにつれて、甲羅が瓦状に重なってゆく性格を持っています。また、適度な弾力性もあって、細工もしやすいので、珍重されるものです。
ところが、江戸時代に異国からの舶来品である玳瑁が、ご禁制に。困った職人、商人たちが、玳瑁を「鼈甲」良い繕った。
はるか南洋の海亀ではありません。鼈の、すっぽんの甲羅なんですから、と。
海水亀を、淡水亀に変えたしまった。
この江戸期の習慣が、今なお続いているわけですね。
もっとも今日では「ワシントン条約」の規制により、玳瑁はそう簡単には扱えないことにはなっているのですが。
それはともかく鼈甲の正体が実は「玳瑁」であるのは、動かしがたい事実なのであります。
いわゆる「鼈甲縁」の眼鏡を愛用した人物に、北大路魯山人。北大路魯山人は鼈甲縁の、丸い眼鏡を好んでかけていましたね。
鼈甲にも大きく分けて、二種ありまして。散斑と無斑。俗に、
「斑」と呼ぶのですが。斑点のある鼈甲と、斑点のない鼈甲と。斑点のない鼈甲は、まさに飴色をしています。あえて比較いたしますと、こちらの方がさらに高級なのですが。
でも、散斑の鼈甲はそれならではの「味」もあるのですが。
政治家の一萬田尚登や、藤山愛一郎が愛用していたのが、飴色の鼈甲であります。一萬田尚登は、日本銀行の名総裁と言われた人物。後に、日本銀行総裁から、政治の道に入ったお方。
鼈甲の出てくる小説に、『網走まで』があります。
滋賀直哉が、明治四十一年に書いた短篇。
「乳に厭きた赤児は、母の髪から落ちたバラフの櫛をいじつて………………………。」
これは、列車の中の一場面。
語り手の「私」は、日光に行った帰りに、宇都宮で友人に会おうとして、列車に。
ところが、たまたま相席になった女が赤ちゃん連れ。どうも網走まで行くらしい。その途中の物語。
パステル画のような小品ですが、さすがに想いの深い読物になっています。
『網走まで』は、明治四十三年『白樺』四月号の発表。一般に、
志賀直哉の処女作といわれている小説。
ところが、志賀直哉はその前に、『或る朝』を書いているのです。さらには、その前に、『菜の花と小娘』が。
「世間に発表したもので云えば『網走まで』が私の処女作ではあるが………………」。
志賀直哉自身、そのように語って、含みを持たせています。
考え方によっては志賀直哉には三つの「処女作」があるともいえるのかも知れませんが。
志賀直哉が、大正二年に発表した小説に、『出来事』があります。この中に。
「私の前に電気局の章のついた大黒帽子をかぶった法被着の若者がかけていた。」
これは当時の市電の様子。『出来事』は、志賀直哉が実際に目撃した事件を小説にしたものです。ちょっと感動させられる小品になっています。
さて、ここでの「大黒帽子」は、ブレトン・ベレエのことであります。
ベレエには大きく分けて二つあって。ブレトン・ベレエと、バスク・ベレエ。小型ベレエが、バスク・ベレエ。大型ベレエが、ブレトン・ベレエ。
ブレトン・ベレエであろうと、バスク・ベレエであろうと、本物は、ニット。
信じるか信じないかはさておき、ベレエの正体は編物なのです。編んだ巨大な編物を縮めに縮めて、ベレエに仕上げる。だからこそ、温かく、頑丈なのですね。
バスク・ベレエは一般向き。ブレトン・ベレエは上級者向き。
どなたか極上のブレトン・ベレエを仕上げて頂けませんでしょうか。