スケイルズとスティラップ

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スケイルズは、人の名前にありますよね。
たとえば、アントニイ・ウッドヴィル・スケイルズだとか。スケイルズ伯爵は、中世、英國の貴族名であります。
英國、中世の戦いとして知られる「薔薇戦争」にも、出陣している人物。
薔薇戦争は英國の国内戦争でもありまして。ごく簡単に申しますと、「ヨーク家」と、
「ランカスター家」。そのいずれの者が王位に就くのか、という争いだったのですね。
そしてヨーク家の紋章が、白薔薇。対するランカスター家の紋章が、赤薔薇であったので、
「薔薇戦争」と称されたのであります。
薔薇戦争は、三十年戦争でもあって。だいたい1450年代にはじまって、1480年に終ったと考えられています。
幾度もの薔薇戦争の中でもことに、よく知られているのが、「タウトンの戦い」でありましょう。
中部イングランドの寒村、タウトンで行われた戦なので、その名前で呼ばれるのです。
1461年3月29日。イングランドの冬は寒く、長い。この日のタウトンは、雪。北風が吹き、吹雪の舞う悪天候だったという。
ヨーク家の軍勢は、約25,000人。ランカスター家は、約30,000人ほどであったと伝えられています。
朝十時からはじまった戦闘は、午後には決着し、圧倒的なヨーク家の勝利に終ったのでのあります。
ところで薔薇戦争の時代の戦場での装いは、どうであったのか。鉄製の鎧兜。
中世、英國の鎧兜は、多くミラノ製であったらしい。イタリアのミラノで、優れた鎧が作られると信じられていたので。
では、優れた鎧とは何であったのか。それは軽くて、頑丈ということにありました。
薔薇戦争時代の鎧の重さ、およそ30キロであったらしい。後世の我われが思っているより、はるかに軽いものであったのです。
従者二人に手伝ってもらって、7分前後で着用することが可能だったそう。少し慣れたなら、走ることも、馬に乗ることも、自在。
ただし、難点は、熱をたやすく伝えること。冬寒く、夏暑い。戦の最中、凍死する例も珍しいことではなかったとか。
鎧の細部に、「スティラップ」 st irr up というのがありました。これは細長い革帯と留金。
「クリーヴ」と呼ばれた「脛当て」を着けてから、靴底に通して留めるための必需品だったのです。
むかしのブリーチーズにも、スティラップは付いていたものであります。
もう一度、スティラップ付きのトラウザーズをどなたか仕立てて頂けませんでしょうか。

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