博多と芭蕉布

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博多は、福岡のことですよね。九州にある地名であります。
今、博多といえば「あまおう」でしょうか。大粒の、美味しいいちご。もちろん、博多産。
ひと時代前なら、博多織でしょう。よく帯地に使われてので、博多帯とも。江戸時代、徳川将軍への献上品とされたので、「献上帯」とも。
江戸期の献上帯は高級品だったようです。芝居の「忠臣蔵」にも、献上帯は出てきます。
「定九郎」は黒い着物に、白献を締めることになっています。白の献上帯なので、「白献」。
黒縮緬の着物を素肌に着て、白献。この衣裳を考えてのは、江戸の名優、中村仲蔵だったと伝えられています。もともと定九郎は、端役。中村仲蔵が演じる役ではない。でも、仲蔵はその役を振られて、衣裳を考える。
考えても考えても、衣裳が思い浮かばない。それで、平井の聖天さまに、願掛けに。聖天さまを出たところ、急に雨が。仕方ないので、近くの蕎麦屋に駆け込む。
中村仲蔵が蕎麦を注文して待っていると。後から入って来たのが、素浪人。月代は伸びて、黒羽二重の着物を素肌に、白献。仲蔵、この素浪人を見て、「これだ!」。
仲蔵は、黒羽二重を黒縮緬に変えて。芝居の前に、水をかぶって、舞台に。この演技が、受けに受けた。
この仲蔵の芝居以降、定九郎は重要な役柄とされるようになったという。
博多ではなく、小倉の話。小倉で少年期を過ごした作家に、松本清張がいます。松本清張がほんとうにはどこで生まれたのかは、誕生日とともに、謎になっています。さすがはミステリ作家だけのことであります。
松本清張が、1951年に発表した小説に、『西郷札』があります。『西郷札』は松本清張の第一作であると同時に、傑作。史実を基にした創作。
明治十年に、西郷隆盛が、「西郷札」を発行したのは、ほんとうの話。いわゆる、軍票でありました。
さて、明治十年。西郷札はどのようにして作られたのか。紙幣にするための紙はなかった。そこで西郷軍は、芭蕉布を札にしたのです。
西南戦争が終ってからも、芭蕉布の紙幣として、蒐集家の間で、話題になったという。
それはともかく、今、芭蕉布はもっと注目されてよい素材ではないでしょうか。

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