ジョンで、音楽でといえば、ジョン・レノンでしょうね。もちろん、「ザ・ビートルズ」のジョン・レノン。
ザ・ビートルズがモオド系の服装を好むようになったのは、1961年頃からのことらしい。そもそもは、ラウンド・カラーの、つまり襟なしのスーツを着たのが、最初。
このカラーレス・ジャケットは、アストリット・キルキヘアの提案だったという。ドイツ人女性、アストリット・キルキヘアは、初期のメンバー、スチュアート・サトクリフの恋人だった人物。
1960年頃、ドイツ、ハンブルグでの聴衆には「エグジス」の連中が、多く、彼らが「髪をもっと長く」と言ったそうな。「エグジス」は、当時、ドイツでの前衛的若者の呼び方だったという。
1961年頃、ザ・ビートルズを「オックスフォード大学」に呼んで、出演させたのが、ジェフリー・アーチャー。ジェフリー・アーチャーは、その頃、在学中だったので。それに、ジョン・レノンも、ジェフリー・アーチャーも、同じく1940年の生まれだったので。
ジェフリー・アーチャーが、1980年頃に発表した短篇に、『センチュリー』があります。
『センチュリー』は小説の、題。ただし、クリケット用語からの命名。クリケットでの「センチュリー」は、一人の打者が百点以上の点を取ることらしい。
つまり、『センチュリー』は、全編、クリケットが背景になっているのです。少なくとも私には、チンプンカンプンなのですが。この中に。
「いつも誇りをもってネックとウエストにダーク・ブルーの帯が入ったクリーム色のセーターを着たものだった。」
その昔、オックスフォード大学のクリケット選手だった人物の様子。もちろん、ユニフォームとしての「ジャムパー」なのでしょう。
余談ですが、ジェフリー・アーチャーはオックスフォード大学時代、短距離走の選手だったそうですね。
ということは、若き日のジェフリー・アーチャーも、ダーク・ブルーの線が入った「ジャムパー」を着たことでしょう。