フレミングとブレイシーズ

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フレミングは、人の名前にもありますよね。
「フレミングの法則」だとか。
英國人の、ジョン・フレミングが考案したので、その名前があるんだそうですね。なんだか電流の流れを説明しているんだとか。私にはさっぱりわかりませんが。
フレミングでよく知られている人物に、イアン・フレミングがいます。かの「007」の著者であります。
イアン・フレミングに会った日本人に、吉田健一がいます。吉田健一は英文学者であり、
随筆家でも。また、吉田 茂のご長男でもあります。
吉田健一は、明治四十五年三月二十七日、東京に生まれています。
一方のイアン・フレミングは、1908年5月28日、ロンドンの生まれ。1908年は、
明治四十一年のことですから、フレミングが四歳年長ということになるでしょうか。
昭和四十二年に、吉田健一が発表した『落日抄 ー 父・吉田茂のこと他』に出ている話なのですが。
ある時、吉田健一はロンドンのジャーミン・ストリートを歩いていて、ふっとフレミングの家に。
それというのも、当時、イアン・フレミングのロンドンでの自宅は、ジャーミン・ストリートにあったので。
時は、ティーの時間。フレミングは吉田に、「飲むか?」。これは吉田のウイスキイ好きを知っていての科白。
で、ハイ・ティーの準備の中での、ウイスキイを。

「それから英国のお茶の時間にに出る御馳走のすべてが載っているのではないかと思われる大きな盆が運ばれて来た。」

吉田健一は、そのように書いています。
吉田健一は酒を愛する男で。それがために、食べない。飲むことに集中するために。
「眺め飲み」とでも言うべきでしょうか。料理を見物しながら、杯を傾けるのがお好き。
この随筆のなかで吉田健一は英国女性を褒めています。英国人女性は褒められることもあれば、貶されることもあるのですが。

「………英国の女は初対面の人間にそれを感じさせたりするようなへまはしない……………………。」

そのように書いているのです。もちろん、フレミング夫人について。吉田健一は、イアン・フレミングとは旧知の仲。でもフレミング夫人とは、はじめて。
でも、フレミング夫人はわだかまりなく、水か風でもあるかのように接してくれる。これは英国人女性ならではの特技なんだ、と。
そして、吉田健一はこうもつけ加えるのですね。

「………日本も昔はそうだった……………………。」

ところで、吉田健一はその日、どうしてジャーミン・ストリートを歩いていたのか。ネクタイを買うために。
「ジャーミン・ストリート・シャートメイカー」で、ネクタイを。ただしこの店は看板が出ていないそうですが。
吉田健一はこの「ジャーミン・ストリート・シャートメイカー」で、ネクタイを何本かと、カフ・リンクス、ブレイシーズ などを購入。
では、吉田健一はこれらの買物を提げて、フレミング家を訪ねたのか。
たぶん、そうではないでしょう。ロンドンの名店で、外国人が買物すると、宿を訊いてくれて、その宿に届けてくれるのが、一般でありますから。
ここで、ひとつ吉田健一から教わったことがあります。英国では「マダム」と呼びかけてはいけない。
なぜなら、英国で「マダム」と呼ばれるべきお方はたったおひとり。エリザベス女王のみ。
こんなことが吉田健一に訊ねるしかないでしょう。
吉田健一は、日本では、ボタン留め式のブレイシーズ が売っていないので、ロンドンに来たときに買う、とも書いています。
むかしのブレイシーズ はたいてい手づくりで、サイズ調整の必要がないものだったのです。
誰が、どのトラウザーズに使うのかが決まっていれば、サイズ調整の必要はないでしょう。
どなたかサイズ調整のないブレイシーズ を作って頂けませんでしょうか。

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