ドランブイとトラウザーズ

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ドランブイは、リキュールのひとつですよね。
Dr a mb i e と書いて、「ドランブイエ」の訓み方もあるようですが。
ドランブイは、スコッチ・ウイスキイを基にしたリキュール。度数は約40度くらい。
スコットランド、ゲール語の、「ドラム」dr am と、「ブイダー」 b u idh e ach とがひとつに組み合わされて、「ドランブイ」Dr amb u i e の言葉が生まれたんだそうです。その意味は、「満足の酒」だったという。
ハンフリイ・ボガートが愛飲したのが、「ドランブイ」だったと伝えられています。ボギーの晩年。ボギーの親友がとあるバアを訪れて。
「最近、ボギーは来てるかい?」と、バアマンに訊ねた。と、バアマンは後の酒棚を振りかえって、ドランブイの壜を眺めてから言った。
「最近はお見えになっていないようですね」
ドランブイの壜の中身がそれほど減っていなかったので。

ドランブイ、そもそものはじまりは、1745年のスコットランドにはじまるという。
1745年に、エドワード王子は兵を起こして。このエドワード王子は、通称を、
「ボニイ・プリンス・チャーリー」。男前の王子だったらしい。
ボニイ・プリンス・チャーリーは、亡命先のフランスからスコットランドに上陸して、王位を主張して戦った。
でも、1746に。インヴァネス 、カロデン・ムーアで、大敗。この時、ボニイ・プリンス・チャーリーの首には、30,000ポンドの賞金がかけられたという。
この時、エドワード王子を助けたのが、ジョン・マッキノン。
ジョン・マッキノンは、スカイ島、「マッキノン家」の豪族の長。
フランスへ帰る船を支度して、無事に逃げることが。
この時、王子は感謝して、王家秘蔵のリキュールの調合を、ジョン・マッキノンに与えた。
これが後の「ドランブイ」になったんだそうですね。
「ドランブイ」が商標登録されたのは、1893年のことでありました。
ドランブイを2、スコッチ・ウイスキイを1の割合で、オン・ザ・ロックスにすると。
「ラスティ・ネイル」というカクテルになるんだとか。
ドランブイをお好きだったお方に、吉田健一がいます。

「………エディンバラの市長が我々の一行に一本ずつ小さな壜に入ったものをくれたのがこのドランビュイだつた。」

吉田健一著『舌鼓ところどころ』に、そのように書いています。吉田健一の表記では、
「ドランビュイ」となっているのですが。
吉田健一著『舌鼓ところどころ』には、こんな話も出てきます。

「ウイスキイをスコットランドの地酒から昇格させてヨオロッパ諸国で出来る一流の酒の仲間入りをさせるために最初に積極的に努力したのは英国国王エドワード七世であるが……………………。」

少なくとも十九世紀までのスコッチ・ウイスキイが、「地酒」だったのは、その通りでしょう。
かのウインストン・チャーチルも『回想録』の中で。
「スコッチ・ウイスキイを飲むようになったのは最近のことである。」
そんなふうに書いています。
つまりイングランド人にとっても長く「地酒」であったらしい。
スコッチ・ウイスキイについても、エドワード七世を讃えるべきでしょう。
トラウザーズと同じように。今のトラウザーズを「トラウザーズ」にしたのは、エドワード七世だと私は考えています。十九世紀末に。
第一、トラウザーズの「クリイス」、折目を発明したのは、皇太子。エドワード七世が皇太子だった頃の発明なのです。
もう少し正確に説明しますと、皇太子の侍従の発明。
皇太子の穿くトラウザーズを、いつもとは逆の畳み方をしたために、トラウザーズの前後に折目がついてしまった。お詫びする侍従に構わず、皇太子がそれを穿いて、流行になったものです。
どなたかクリイスの映えるトラウザーズを仕立てて頂けませんでしょうか。

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