火の鳥とヒール

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火の鳥で、音楽でといえば、ストラヴィンスキーですよね。
1910年6月25日、巴里の「オペラ座」で、初演。セルゲイ・ディアギレフのバレエとして。
『火の鳥』は、はじめからストラヴィンスキーが作曲することになっていたのではないらしい。
もともとは当時有名だった、作曲家の、アナトーリー・リャドフに依頼してとも。ある時、
巴里の街でばったりリャドフに会って。「進行はいかがでしょうか?」。これに対するリャドフの答え。

「もちろん順調ですよ。なにしろ、この間五線紙も買いましたからね。」

これでは巴里公演に間に合わないと考えて、急遽、ほとんど無名だったストラヴィンスキーにお鉢がまわってきたんだそうです。そして『火の鳥』がストラヴィンスキーの出世作になるんですから、世の中分からないものですね。
1910年代、ストラヴィンスキーは、コクトオと親しくなって。コクトオが紹介してくれたのが、ピカソ。
ピカソは1917年にストラヴィンスキーの肖像画を描いてもいます。
ストラヴィンスキーはピカソが描いてくれた『肖像画』を持って、ロオマからスイスに移動。
この時、国境の町、キアッソで、税関に。
「これは国家機密の地図ではないか」と咎められて、没収。この『肖像画』を取り返すのに、苦労したんだそうですが。
1925年、ヴェネツィアを旅した時のストラヴィンスキーは、黒の短靴に、グレイのスパッツを合わせた写真が遺っています。
『火の鳥』は、日本の小説の題にもあって。昭和二十八年に、伊藤 整が発表した物語。この中に。

「土岐さんの踵のつぶれた靴、それに着ているのは戦争前からの汚れたオーヴァーだ。」

「土岐さん」は、演劇関係者という設定になっています。
この場合の「踵」はどこなのか。なかなか難しい問題であります。一応、踵は
「ヒール」h e el だとして、話を進めるといたしましょう。
踵、ヒールにもあるのでしょうが。昔と今の大きな違いは、「スタックト・ヒール」
st ach ed he el が少ないことでしょうか。職人用語では、「積み革」と言ったものですが。
実際に何枚かの厚革を重ねて仕上げた踵のことです。

「濃い茶の、モカシン・シューズで、スタックト・ヒールの靴。」

1960年『ハーパーズ・バザー』8月24日号にも、そのように出ています。
どなたか本式の、スタックト・ヒールの、ブローグを作って頂けませんでしょうか。

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