テイラーとセイラー

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テイラーは、洋服師のことですよね。
西洋なら、裁縫師、または裁断師のことでしょうか。
テイラー t a il or に因む言いまわしに、「ナイン・テイラーズ………」というのがあります。
N in e t a i l ors m ak e a m an 。というものであります。「仕立屋は九人で一人前」とも解せる表現で。ちょっと失礼な感じ。でも、この言葉、よく用いられるのです。
英國の、ドロシー・L・セイヤーズが、1934年に発表したミステリにも、『ナイン・テイラーズ』があります。
もちろん、この慣用句を下敷きにした小説なのですが。
スティヴンソンの『宝島』にも。

「………海だと! 分限紳士だと! 仕立屋がてめえらに相応の商売だろうよ」

これは、ジョン・シルヴァーの科白。ということは、1880年代の英國にはすでにこの慣用句があったものと思われます。
でも、「ナイン・テイラーズ………」はちょっとした誤解からはじまっているのではないか、との説もあります。
これはその昔の、弔鐘と関係があるのだ、と。人が亡くなると教会で鐘を鳴らした。
子供なら、三回。女なら、六回。男なら、九回。これを、「ナイン・テラー」と言った。
n in e t ell er と。このナイン・テラーが後に「ナイン・テイラーズ…………」と曲解されたのだ、と。
『宝島』がロバート・ルイス・スティヴンソンの名作であるのは、いうまでもありません。

スティヴンソンについてはあまりにも語るべきことが多い人物なのですが。ひとつだけ。
スティヴンソンは、「吉田松陰」についての著作があるのです。
1879年に、『ヨシダ・トラジロウ』を、スティーヴンソンは書いています。言うまでもなく松陰の本名、吉田寅次郎のことであります。
では、なぜ、スティーヴンソンは吉田松陰のことを知ったのか。
1876年に、エディンバラで、日本人留学生、正木退蔵で出会ったから。正木退蔵は、一時期、吉田松陰のもとで学んだ人物。正木退蔵がスティーヴンソンに、吉田松陰の話をすると、感激。それで、『ヨシダ・トラジロウ』を書くことになったのですね。
もう一度、スティーヴンソンの『宝島』に戻るとしましょう。そのはじめのところに。

「タールまみれの辮髪が、よごれた青い上着の両肩にたれていた。」

むろん「ベンボー提督屋」にやって来たジョン・シルヴァーの様子。
十九世紀の英國の船員はたいてい「辮髪」だったものです。これは中国趣味としてずいぶんと流行ったもの。
ただ航海中の船員が毎日髪を洗うはずもなく、汚れに汚れて。その汚れ防止としてはじまってのが、「セイラー・カラー」。後の襟だけを外して洗えたからです。
セイラー・カラーは、1890年頃の流行。
どなたかセイラー・カラーのある上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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