生蕎麦とギーヴス・アンド・ホークス

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生蕎麦は、蕎麦のことですよね。「二八蕎麦」もあれば、「生蕎麦」もあるというわけですね。
二八蕎麦は、蕎麦粉八割にうどん粉二割で、打つ。これに対して、蕎麦粉十割でこしらえた蕎麦のことを、「生蕎麦」。もちろん「きそば」と訓みます。
どうして二八蕎麦なのか。蕎麦粉だけではつながりにくいので。いわゆる「つなぎ」として何かを加えたわけであります。

「………生蕎麦めづらしくやありけん……………………。」

寛保四年の古書『風俗遊仙窟』にも、そのように出ています。ここに「蕎麦の記」という章題があって、蕎麦について詳しく語っているのです。
「蕎麦掻き」をはじめ、いろんな種類があります。蕎麦掻きから発展して、今の「蕎麦切り」になってのですが。
「けんどん蕎麦」の呼び方もあるらしい。
江戸、寛文年間に。吉原に蕎麦屋があって。主人を「仁右衞門」と言った。この店、蕎麦は美味いのですが。仁右衞門がつっけんどん。まことに無愛想。それで、「慳貪蕎麦」。ここから後に、「けんどん蕎麦」と呼ばれるようになったという。
蕎麦が出てくる小説に、『雁』があります。明治四十四年に、森 鷗外が発表した物語。

「蓮玉へ寄つて蕎麦を一杯食つて行こうか」と、岡田が提議した。」

「僕」と「岡田」とが、不忍池あたりを歩いている時に。鷗外はこれに続けて。

「其頃下谷から本郷に掛けて一番名高かつた蕎麦屋である。」

とも書いています。もちろん、「蓮玉庵」のことを。
「岡田」は急に、ドイツ留学が決ったので、それを「僕」に話す場面。それに対する「僕」の言葉。

「さうだとも。機逸すべからずだ。卒業がなんだ。向うでドクトルになれば同じことだし………………。」

そういえば、「機を逸する」の表現がありますよね。あるいはまた、「機は熟せり」とか。
ミステリにも、『機は熟せり』があります。2016年に、イギリスの作家、
ジェフリー・アーチャーが発表した長篇。この中に。

「サヴィル・ロウの<ギーヴズ・アンド・ホークス>へ行ってくださいな。抜かりなく見立ててくれますから」

これは妻のヴァージニアの科白。富豪の「サイラス」が女王陛下にお目にかかることになって。「サイラス」はさらに訊く。
「抜かりなく見立ててくれるとは?」
これに対するヴァージニアの答え。

「間違いなくきちんとした服装をさせてくれるということです」

うーん。なるほど。テイラーの仕事はそこにあるんですね。
どなたか間違いなくきちんとしたスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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